teresuwatebesu's blog

ときどき宇宙のことを考えるといいらしい

恋というのは厄介なものだ。

もっとわかりやすい言葉でいうなら、恋=男女間の駆け引きのことだ。

 

本当に相手を自分のものにしたいと思ったら、戦略なしにはとうてい勝ち取れない。

それはいくら初めは向こうから好意を寄せてくれていたとしても、だ。

 

こちらの好感度が相手のそれを上回ってはぜったいにいけない。

否、上回るのはいいことかもしれない。

だが、それを相手に悟られてはいけないのだ。

 

意中の人に、クソ真面目に、誠実に、清廉潔白な態度でアピールしても、その効果は、悲しいほど得られないという。むしろ逆効果になることさえあると。

 

これは脳の研究結果からも裏付けのとれている揺るぎない事実だそうだが、相手に好かれたいのなら贈り物を与えてもいけないし、手伝ってもいけないのだという。

 

は?と思った。誠実なおれは。

好きな人に好意をもってもらおうとするなら、贈り物をしたり、相手が困っているときには手を差し伸べるのが道理というものだろう。

好きな人のために尽くしたい、尽くそう、と思って、多くの見返りを求めようというわけではなく、ただ好意的に見てもらいたいがための行動を起こす。

それが恋の駆け引きにおいては間違いなのだという。むしろその行動が相手の心に、自分と接するときの惰性を生み出してしまいかねず、逆に贈り物が少なくなったり事情により手伝えなくなったりすると、「なんであの人は贈り物をくれないんだろう、助けてくれないんだろう」というような心理状態を招き、結果としてもう最悪、みたいなことになるらしいのだ。おそろしすぎる。

 

ではどうするか。

それはずばり、贈り物をねだり、手伝ってもらう(手伝わせる)のだそうだ。

なぜこれが恋の駆け引きにおいて有効なのかというと、脳というのは理性的、知の象徴のようなものとして世間では扱われることがしばしばだが、脳は既成事実になにかと理屈をつけたがる習性があるらしい。

つまりこの場合どういうことかというと、例えば女性が意中の男性に「誕生日なんだよね」とほのめかし、男性はなんの気なしにプレゼントを手渡したとする。すると男性の脳は、プレゼントを贈ったという事実についての理由づけを行おうとするらしいが、その適当な理由が見当たらない。だって、とくに理由もなくプレゼントしたのだから。

それでも脳は理屈がないと落ち着かない。落ち着かないから脳はとんでもないことを思いつく。

「もしかすると自分は相手のことに興味があるからプレゼントしたんだ、でなきゃプレゼントなんてしないよ、いや、てか、好きなんじゃね?うんそうだそうだ、絶対そう。」と理由をでっちあげ、脳みその持ち主は無自覚なまま、結果的に相手のことをそうした特別な目で見ることになるらしい。

 

追うと逃げられ、追われると逃げる。

 

よく恋愛論において耳にする言葉ですが、

実はこれって脳みそレベルで決められた習性であったわけですね。

 

つまり恋とは我慢比べなんですね。

 

(な、なんだこれ、めんどくさいぞ。)

 

そして現在。

 

私はいま、たったいまあることに気付いた。

顔を合わせるたび食事代を支払うことも多く、誕生日にはこまごまとしたものを丹念にセレクトして贈り物などをした。

おれはいま恋の苦しさ、胸にゲッソリと穴ができたみたいな感覚のやつを8年ほどぶりに味わっており、それは昨日さよならした瞬間からはっきりと自覚しだした次第であるのだけれども。

でも私は少しは成長していたらしい。翌日にはその穴は冷静水(れいせいすい)でいっぱいに満たしてあり、少なくともそれで日常生活に支障がでるほどではないようだ。ずきずき。

 

それにしても

彼女の顔を眺めていると、右脳が喜んでいるのがわかる。

いや、顔だけではない、その髪、その腕、そのオムネ…。

男にまつわる彼女の過去を聞くうちに嫉妬という感情がおれにも備わっていたことを思い出した。

 

脳に踊らされているとしても、それが人間であり僕なんだ、と思う。

 

おれは話した。それはみっともないことだったと思う。

恋愛において「贈り物は、されるものらしい」と。

「自分は手順をあやまってしまって格好が悪いね」と。

 

彼女は笑いながらダメ出ししてくれた。

彼女は知っていた。

プレゼントをもらうことや手伝ってもらうことが、相手の好意を呼び覚ますことを。

 

それはかつての大好きだった彼を、振り向かせるために勉強したんだ。と

どこか悲哀の漂う表情で笑いながら語っていた。

 

えなにこれ。

かわいすぎる。

 

 

脳の誤作動でもなんでもいい。

おれは彼女が好きになっていた。