彼ら、彼女らの口から語られる手段や理由がいかに稚拙であろうと、
その奥底にある漠然とした淋しさや不安は
誰しもが抱えており、誰しもがいつか目の当たりにする闇である
ただ感動の涙を流したいという女の子と
心を震わせてくれる映画に出会うことを期待しているこのおれと
なんの違いがあろうか
彼女の演技を見たいとおもい、美女と野獣を見ることになった。
いやー、うつくしい。
なんだろう。素朴なうつくしさだ。
前評判のいい映画やトレンドの映画は、どうしても苦手。というのも、観客の空気に流されてしまうからだ。
作品そのものをじっくり自分のペースで咀嚼し鑑賞するよりも先に、観客の熱に呑まれてしまうというか。
まあ理由はいろいろある。
美女と野獣もきっとそんな感じだろうと思っていたので、あえて平日の、しかもさびれた映画館に目星をつけ、足を運んだ。
入場が遅れてしまい、うしろのほうの隅っこに席をとった
ここの映画館は予告中であっても、照明の類は切られており、画面の明かりしか頼りにできないため、奥へ進むのは危険なので断念せざるをえない。
館内はそれほど人はいないようだった。
座った瞬間、物語ははじまった。
心理的にどんな作用がはたらいているのか、わからないけれど
おれはどこまでもやさしい気持ちになっている
単純に久々に休みを満喫できたからだろうか
映画館を出たその足取りはかるく
遠くの景色をたのしみながら帰宅した
その理由を少し考えてみる。
もしかしたら、もしかしたらだけど。美女と野獣という、あまりにもエンターテイナで、商業的で、大衆的で予定調和的なものにたいして、心を波立たせることなく、素直に受け入れられた自分の成長ぶりが、うれしかったのかもしれない。
もちろん、物語のあらを探そうと思えばいくらでもある。
肝心なところでいえば、ベルがなぜ野獣を愛したのかやっぱりわからないもの。
だけど、そんな自分のなかの声は遠く、気にはならなかった。
みんな、なにかしら抱えて生きてんだな、としみじみおもったよ
なんでかしらんけど
3つ隣の席に座っていたお姉さんが、物語中盤以降泣いていたのかな、と思われる鼻水をすする音がかすかに聞こえていた。(ただの花粉症かもしれない)
幼いころに見たアニメの記憶が蘇って、いろいろ思い出して、さみしくなったんかな、とか、懐かしかったんかな、とか勝手に想像した
あまり熱心に見たことも、音楽を聴いたこともなかったおれでさえ、
劇中歌のあの音楽は、たしかに胸にせまるものがあった。(というか、あの曲が美女~の曲だったとは。中学の給食時間の校内放送であのオルゴールがよくかかっていたものだった。)
どんな理由であれ、泣くという行為には本人さえ気づいていない痛切さが含まれているような気がしてる
心の叫びというか
仮にそれが絞り出した涙だとしてもね。
だから泣いてるひとにはやさしくしたいなとおもっている。
まあ、そわそわするだけなんだけど
映像も美しかったし、CGもすごかったし、ミュージカルも素敵だった。満足。
欲をいえば、エマのお顔を、もっと真正面からじっくりと拝見したかったけど。
もうこれは絵画をみるときのような心境に近い。(絵画しらんけども。でも、芸術作品を見るときのような心境)
この映画を見た後の感覚って、なんか身に覚えがあるとおもったけど、ゼロ・グラビティだ。
あのときの神聖な、穏やかな気持ちに似てる。
こんな気持ちが長く続くことはないってわかってるけど
こんな1日を体験するために、また生きのばしてみるかという気持ちになれる。
また今週末はメッセージっていうおもしろそうな映画の公開がはじまるから金曜日が楽しみ。そこに向けてのこり3日間がんばろう。