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teresuwatebesu's blog

ときどき宇宙のことを考えるといいらしい

僕の飲み会奮闘記

ようやく。

ようやっと。

ついに。

僕は飲み会を手玉に取った。

 

決して多くはない何種類かの飲み会を経験してきたけれども。

その大半は帰り道でどっと疲れが襲い、希死念慮にかられ、夜の街をただひたすら歩き続け、家路につき、家族にただいまも言わずに部屋にこもり、室内の真っ暗闇と心を同化させながら、なにか得体の知れない感情によって涙をながすという、あの苦しみ。

 

それを味わわずに済んだ飲み会を解散したのが、つい二時間前のこと。

 

なんとすがすがしいことか。

 

飲み会も悪くはない。そう思える自分に、乾杯。

 

単純にメンバーが良かったということもある。

飲み会というものは、「回す」ものだと知っている人たち。そして、適度な毒というのはスパイスであるということを知っている、もしくは寛容な人たちで構成されたメンバーだったから、ほとんど気を遣わずに飲めたのは大きい。

 

グラスの三分の一を飲んだだけで吐いていたあの頃の涙が懐かしい。

毎週末に缶チューハイで練習して、最近ようやく二時間かけて、ひと缶飲み干せるようになった。

 

飲み会にはルールが存在していると思う。

それは

 

 

そして基本的に頭に入れておくべきこととして

飲み会は基本、そんなもんだ。と思って臨むこと。へんな期待も先入観も持って臨まない。楽しいものでもないし、楽しくないものでもない。そういう気持ちで臨むと「おっ、ラッキー」みたいな感じで楽しめることもある。

 

僕はずっと飲み会になにかを期待してた。だってなんだかみんな楽しそうだから。自分もその空気に浸ってみたい、これだけ楽しめれば、きっと満足感も相当なものなんだろうな、と勝手に思っていた。

 

でもあれは、お酒の力を借りてハイになっているだけ。たしかにあの場でものすごく笑っている人たちは、本当に楽しそうな表情をしている。

だけど、人間には恒常性というものが備わっており、あれだけ空疎に笑っていれば、必ずあとで下降という反動がくるものなのだ。

あれだけ大勢で盛り上がり、みんな散り散りになって帰宅するときに、個人差はあれど、一抹のさみしさを覚えているのはたしかなのだ。

みんなその感情を言語化できるほど感受はしないし、仮にその正体がぼんやり見えていたとしても、「飲み会のあとは憂鬱だ。(みんな楽しそうにしてるのになんで自分だけ…)」ぐらいにしかコメントできないものなのだろう。

これはちゃんと本で読んだことであって、だから飲み会のあとのさみしさについて、あまり深刻に悩む必要はないんだよ、と言いたい。みんなじつは同じような気持ちなんだよ、って。そしたら少し気が楽になってくる。

 

あとは自分が言おうとしていたことへのこだわりを捨て、相手の話をさえぎってしまったと悩むのをやめたことかな。

まず自分の言いたいこととか主張は、ふられない限りはあまりその場でいう必要がないということ。

ただこの飲み会というテーブルを回すことだけを頭の隅っこに置いておけばいい。

人が展開している話をときどき補完して相槌をうつくらいがちょうどいい、相手にとっても自分にとっても。居心地の良さをお互いが感じられると思う。

必ずひとりはしゃべりすぎる人間というのがいるから、お気の毒ではあるけど、その人にいい意味でも悪い意味でも主役はお任せすればいいのだ。

そこでへんに持ち上げる必要も蔑む必要もない。その人には飲み会というゲームにはなくてはならないプレイヤーのひとりなのだから。

 

 

いろいろもっとまとまった文章書くつもりだったのにとっ散らかった印象だなあ。

でももうおねんねしたいのでここいらでやめる。