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teresuwatebesu's blog

ときどき宇宙のことを考えるといいらしい

終わりから

残された人生だとわかった瞬間、あんなに嫌だったはずの世界が、少し輝いて見える。そして、漠としたさみしさも込み上げてくる。

 

有限であることに気付くと、1日を無駄にしたくなくなる。

 

残された時間でしたいことをして、行きたい場所に行き、会いたい人に会い、食べたいものを食べ、ペーパードライバーにお別れを告げ、ドライブをし、仕事を休み、知らない町の夕日を眺め、知らない女の子とおしゃべりをし、一夜をともにし、送り届けたあとは二度と会うこともないようなロマンチストな体験をし、というようなことまでは期待できないのはわかってるさ。

 

結局夢はひとつも叶わないまま終わる。それは、一番叶えられそうな、行きたい場所に行くことや、会いたい人に会うこと、食べたいものを食べることを指して言ってるんだ。

生きてれば、やれないことはないと誰かが言った。

ほんとうにそうだろうか。

 

僕は僕をやめない限り、行きたい場所に行っても、会いたい人に会っても、食べたいものを食べても、普通の人が感じる喜びの、半分しか感じることはできないだろう。

 

僕が考えうる、自分のしたいこと、は、いつも事実とのすり替えが行われている。

そこにはない何かを求めて、決して、少なくともいま与えられている肉体と人格と、この3次元構造の世界で暮らしているこの場では、得られない何かを求めてる。

 

どうしてこう、文章に漂う腐敗臭というのは芳しい薫りがするのだろう。

 

僕の肉体から発せられるのは愛されたいという欲望と、愛したいという欲求。

それはなぜ、臭ってしまうのか。

貴様が愛を語るな、と白眼視されるのか。

そしてそれはただ当人の思い込みだと鼻で嗤うのか。

 

愛というのは結局、チープなもののほうが重宝されるのだろう。お手頃な、それでいて人の手で磨かれた、身に付けて、誰に見られてもおかしくない宝石を。

 

ほら、まただ。こんなところでも言いたいことのすり替えが行われている。

 

あなたの冷たい視線が刺さる。

 

 

大切なものがなにかわかったときには、それは遠いところにある。

決して手が届かない距離ではないのかもしれない。

だけどもう、僕という人格が形成された以上、まだそのことを知らない人たちが見ている景色を、僕は同じ気持ちで、見ることはできないのだから。