teresuwatebesu's blog

ときどき宇宙のことを考えるといいらしい

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売れてしまった曲ってのは

ある意味真実で

信じ続ければ夢は叶うと歌い続けた人間が100いたとして

そのなかの1人が売れたとする

成功した人間は、自分という実例を伴うから夢は叶うと、欠伸しながらでも、マンネリ化しても、本人が真剣にそう思っていなくても
、成功したという肩書きがあるから
「夢は叶う」とか「諦めるな」という言葉は世間や数多くの人に受け入れられ、リスペクトされる。

そんな成功した姿の人を見て「羨ましい」とか「かっこいい」とか、憧憬のような色眼鏡も相まって、そこには一見、真実のようなものを認めることができる。


けど現実は、99の成功できなかった人たちがいて

そして僕ら庶民のほとんどが、ここに属してしまう、属してるはずなんです


だけど、格好が悪いから


思うんだけど、大人って「剛」に対する美徳が凄まじいなあって。

なんでもかんでも実力とか成績とか仕事のできるできないとかって

なんでんかんでん「力」を能力に換算したがる。

男性だととくにね。まあ肉体的にも筋肉をつけやすい動物だし、雌に好かれて交わるためには「剛」のほうが圧倒的に需要があるのだろうし、よく売れるものはつい買ってしまうっていう人間の心理的要因が働いてることもたしかだよね。

でもさ、「柔」で生きてる大人がいたっていいんじゃないのか?って思うのね。

物事をいなしたり、避けたりしながら生きていく大人。

やめる、ってすぐ悪いイメージもつと思うんだけど、考えてもみてほしい。

やめる、ってすごくエネルギーのいることだと思わない?

まず、世間的なイメージがまったくよろしくない。たとえば仕事。やめて、一時期無職になる。誰からなにを言われるわけでもないのに、これだけで息苦しくなる。プレッシャー。
おれも昔無職を味わったけど、1週間たたないうちに、自分で世間からの疎外感を感じてた。

それに、やめます、と伝えるときのエネルギー。誰しも身に覚えがあるはず。あれは…しんどい、よね。


なんだかんだでね、風当たり少なく生きる、という方法も「剛」と同じくらい苦労がある。とくに精神にガツンとくる系が多い。


背広の似合う大人にはなれなかった。
それがいまもコンプレックスで、きっと一生、気になる女性をディナーへ誘って、スーツでビシッと決めて会話を楽しむ、なんてことはできなかった人生だ。
「剛」で生きればこそ、その場面を手に入れられるわけで。





だいぶ話が逸れたけど

というかこのままだと「やっぱ剛ってオイシイじゃねえか!」となりそうだけど…



てか、なるやんけ



自分で自分を論破



いやでも、一番言いたかったのは


「そういう人種になれなかったからってそこに固執し続けなくていいと思うよ?次いこ次。」

っていう台詞を言ってくれる大人が、もう少し、世の中にいてもいいんじゃねえか!?っていう思うわけです。



なんていうかさ、「アドバイス」ってたいてい押し上げるじゃん、溢れないように。はみ出ないように。

その能力とか見込みがありそうな人にはそれでいいんだろうけど、


おれは、「その人の人生の50%は遺伝子によってあらかじめ決められてる。」っていう説を「ああ、やっぱそうだろうな。」と信じてる質の人間だからかもだけど、


ハズレにはハズレなりのアドバイスってあっていいとおもう。
じゃないとどっちも息苦しいじゃん。


こんな大人がもっとふえたらいいな