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teresuwatebesu's blog

ときどき宇宙のことを考えるといいらしい

不快不服不満

最近気づいたというか

今まで見ないように見ないようにしてきたと思われる、鏡に映る自分の気に入らない身体のパーツを無意識に嫌悪するときの仕草のような

無意識に働いていたコンプレックスに気づいた。

その名も

背広の大人に仲間入りできなかったぞコンプレックス。

いまの職場になってから
視界に入ってくる職場の上司を見てその場を目の当たりにしたことで、無意識下にあった自分の新たなコンプレックスが浮上してきたらしい。


なんというか、駆け引きですよ、ようは。


こういうふうに見せておいて、とか

少し大きく出て、ぎりぎりのところで譲歩させる、とか

相手を立てつつ、お愛想を混ぜつつ、うまく交渉をする、とか

ときには、頭をペコペコと下げたり

こういう態度でのぞもう、みたいな戦略とか


そういったやりとりは、映画や物語の世界だけのできごとだと思ってた。
いや、なんとなくは背広の世界にはそれがあることも承知してた、はず。


単純に羨ましいんだよね


たぶん本音と建て前、ってのをわきまえた上で、そういうやりとりはお互いで成立しあってて

なかには世辞を世辞とわからない背広もいるんだろうけど、それでいい気になって交渉を上手く持っていかれる、みたいな。

そのさじ加減の現場に、惚れ惚れします。


おれには到底無理だから。

演技をする、ってことに異常なまでの緊張と罪の意識と気持ち悪さを覚えるから。

これは皮肉をいってるわけではなくて。心底羨ましいと思うのです。ああ、ああいう駆け引きこそ、背広の大人、強いてはこの世の中の経済を支えている大人の姿だな、って


だから背広を着た人へ妙な遠慮や尻込みして、加えてハキハキ喋る人なんかを見ると
コンプレックスがくすぐられて、おれはますますボロ雑巾のような心持ちがして、まったく意味のわからない落ち込み方をするのです。
被害者意識すらあります。背広の堂々とした態度。電話での単刀直入な会話‥

そういったものすべてに対して、自分にはないもの過ぎて怒りの感情やら羨望やら嫉妬やら
ごちゃ混ぜの感情が渦巻いています。


ぼくのなかで大人になる、ってことは

背広の大人になる、ってことだと

小学生の頃から、そうインプットしてきたのだと思いました。

でなけりゃ、そういう大人になれなかったし、今後もなれそうもないことに対して
この圧倒的な自信のなさや、それによる弊害に説明がつかないのです。


センシティブになりすぎることには弊害しかないと思います。
何も生まないし孤独だし見つけ出してほしいという欲も枯れつつある。
人として、人類という括りの中に自分は属しているのどうかさえ怪しいほど、神経の糸は絡まりすぎて
この感情をもっとうまく取り出す術さえあって、一般的な感覚には少し鈍ければ
もうすこし楽に「異なる」ことを愉しめたんだろうか


とにかく泣きたいくらい悔しいです

背広を着た父の匂いと職場の上司の匂いが酷似していて

あれが大人なんだと

匂いで確信を得てしまったことも
あるかもしれないな


酒もタバコもできないしね〜

なにかひとつでも

大人を名乗れるなにかがおれにあるだろうか

ほぼ無いに等しい
憂鬱

ああいう大人になりたかった

男なら

あれが生きてる、ってことだと思う


我ながら偏った意見だとは承知してる笑


それでもいまの社会というコミュニティで生きている、と言えるのは

ああいう姿なんだと思う
おれのなかに固まっている大人像はね


さて、このコンプレックスがわかったところで、どうすべきなんだろう、これから。

それは芸能人と同じようなもので、自分にはいっさい縁のない世界だと言い聞かせるか?
そんな子供騙しは無理だよな、手が届きそうではあったんだから
強すぎる自我さえなければ