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teresuwatebesu's blog

ときどき宇宙のことを考えるといいらしい

神様の視点

神様の目線で生きていた。

それは多分物心がつくまえから。

母親が宗教をしていたから。

それじゃあ世の中の宗教家の親をもつ子供たちは、大人になったいまでも、お前みたくなっているというのか。それならもっと被害者がいて然るべきだろうと。



それはおれにはわかりません

それに熱心だったのかというと、もっと酷い宗教家の親たちは五万といるようだ。

いったんここで比較をやめてみる。

自分だけのステータスだけで判断してみる。

なんだろうこれは。

おれは小学生のときから、意地汚いというか狡猾というか。

生まれながらの嘘つきナルシストなのだろう。

とにもかくにも神様の目線とか人の目線とか


自分以外の誰かの目線でしか人や物事を見てこなかった我が人生であった。

そのことに最近読んだ本の影響もあって、密かなプチビックバンが頭のなかで起こっている。


人や神様以外の目線、他ならぬ自分がしたいようにする。っていう当たり前の生き方をしてこなかった。

だれかのせいにしたくなるのも、結局自分がどうしたいのか、それをわかっていながら無視し続けたことが病名のつかない得体の知れない憂鬱や生きづらさの原因だったのではないかと、馬鹿なおれは気づいた(というより答案用紙を見せてもらった)のだ。


それを省み、自分の動きをあらためて見つめるにつけ

やはり、やはり、どれだけ人の、いや、やっぱりここは神様だと言おう。

人の目を気にするのは、突き詰めると神様にたどり着くんだ

母に言われ続けたことがあった

いまでも彼女はそれを世の真理として信じ続けているようだし、それを強いるけど

とにかく、悪いことや間違ったこと、人様に迷惑をかけること、嘘をつくこと

それをしたら神様から×がつけられ、地獄へ落とされると。(しかもどんなにいい行いをしても、せいぜい死後の世界でひとりで読書ができるくらいの環境だと聞かされた。ほとんどの場合、罪深いわたしたちは地獄に行くことは決定事項なのだと。)

そんな話を聞かされて育ったおれたちはまともだったろうか。

悪とはなんなのか

間違いとはなんなのか

わかりやすい悪

人間の迷惑になることが神からの裁きの対象になるという、この矛盾について考えたことがあるのか。

神は人間にどこまで優しく厳しいのか

神のみぞ知る審判をするという。
それがなぜ人間の快不快が基準になっているのか



とにかくさ

自分がないわけ。


おれって。

つねに人の目がきになるの。

神様から見た人の目が。

そうやっていままで生きてきた。

自分をずっと殺してきた、

20年来の習慣なんてそう簡単に剥がれない。

おれは狡猾だ。

きっとこれからも

君を好きになる。好きだ。

だけど自分が大嫌いだから君とは一緒にいたくない。いられない。

大好きな人たちをそうやって捨ててきた

もうおれはこの狡猾さを自分が感じなくなるまでは、自分が好意を寄せる相手には近づかない

なんか危険だよね、思想が、既に。

偏りまくってる。


でもいいんだよもう誰にも影響を与えたくない、それがちょっとした語尾であったとしても。それ聞くだけでなんかつらいから