teresuwatebesu's blog

ときどき宇宙のことを考えるといいらしい

僕たちには気休めでも必要でしょ?

年末に読んでた本なんだけど

これを読み終わったらひとまず感想を書こうと思ってた

そのときはふむふむ、って学んだつもりになっていても
数日経つとすっかり忘れてしまった、っていうことが自分にはよくあるから、メモの代わりとして。

それともうひとつは、おれみたいに引っ込み思案で、とかコミュニケーションに不安を抱えてるひとが、たまたまここにたどり着いて、記事を読んで気持ちがすこしでも楽になったらそれもいいよなあ。と



とはいうものの、じつは、いまだに書く気が起こってないんだけど

いい加減書き起こしとかなきゃ
せっかくの知識とか無駄になりそうなんでがんばる。

****************

その本のタイトルは「内向型を強みにする」
著者はマーティ・O・レイニー。


こういう自己啓発本の類いは、お察しの通りあまり好きじゃない。
自分っていう人間とは根本的にちがう人たち向けの本に思えてて。

でもまあどんな分野でもそうだけど、やっぱり例外っていうのはあったみたいで
それがまあこの本でありました。
(というかそもそも自己啓発本っていわないのか?この本。)


盗めるものがあるなら盗めばいいし、自分の性格上むずかしいものは読み流せばいいか、くらいのスタンスで読み始めました。


ここでいう内向型と外向型を簡単に説明すると(抜粋)

”外向型は人と話したり外の活動からエネルギーを得たいと飛び回り、広く浅く経験を積み重ねていく。一方内向型はエネルギーをアイデアや感情などなかの世界から得て、静かに自分と向き合うことで充電し、深く経験することを好む。”
”世の中の75%の人間は「外向型人間」である。”


本書によると、外向型と内向型は単純に、「気質がちがう」だけなのだという。

たとえば飲み会でバカ騒ぎして楽しそうにはしゃぐ連中。(これはおれの勝手な例えだけど)

自分は、ああいうのは本当になにが楽しいのかわからないし、見てて虚しさすら覚える出来事だ。

それが、外向型人間からするとまっったくの逆なのだ。
あのバカ騒ぎが本当に楽しくて、あれでエネルギーを充電しているのだ。

なんというか、楽しんでる、っていうのが衝撃だった。

合わせてるもんだとばかり思ってたけど(なかにはそういう人もいるだろうけど)

あれを「純粋に」楽しんでたんだ、っていうことにプチ衝撃を受けた。


そこでひとつ、なんか楽になった。

ひとが楽しんでるものを、好きなものを
否定する気はおこらなくなったというか

おれはきらいだけど、あのひとはすきなんだなーって

まあそれを、幼稚だなーとかは思ってしまうけど

だけど責める気はおこらなくなった。自然と、そういう気持ちは薄まった


この本のなかで、冒頭のこのくだりが一番印象的だった。笑



眠くなってきたのであとはテキトーにいきます←

個人的に具体的につかえるなーとおもったのは

・世間で話題になってるニュースには、表層だけでいいので耳に入れておく。(ニュースなんて仕入れるだけくらーい気持ちになってしまうけど、これもお付き合いのため、と思ってあったこと、詳細は知らんでもいい、だけ知っておくと会話についていける)

・とりあえず質問する。むこうがふってきた話題などを展開してあげるため、それについて思いついた簡単な質問をする。そうすれば自分がしゃべらなくていい時間稼ぎにもなるしね。


・数回深呼吸する(これはピンチのときほんとに有効だった。とくに腹式呼吸が身につけられたらなおよし。)

なんで深呼吸(腹式呼吸)がいいか、ってのにはちゃんとした理屈があって

緊張してるときや不安になってるとき、人っていうのは呼吸が浅くなってるらしい

んで、呼吸が浅い、ってことはつまり脳に酸素が十分に送られてない、ってことであって
そうなると脳は働かなくなって、ますます悪いほうに悪いほうに想定してしまうらしい。

だから悪い想像とか、自己嫌悪が始まったらとりあえず深呼吸深呼吸、ってしよう



ぜんぶがぜんぶ参考にできるとはいわないけど

(実際に外向型人間の人にも内向型人間に対して理解を示してもらう必要があるように書かれているけど、それは社会というコミュニティにおいて(とくに職場)、ほとんど不可能のような気がするし。家族とか友達なら可能かもしれないけど‥)

とにかくこの本気になった人は読んでみて

変われない自分を責めたり恥ずかしく感じたりしてる人は
読んだらすこし楽になれるとおもいます



追記

これもよかったから抜粋。

”どの目に映る景色もその人にとっては真実であり、正確なものだ。ただし、あくまでもその人にとっては、なのである。 健全な関係に不可欠なのは、あなたが自分のメガネで世の中を見ているのに気づくことだ。自分の目に映る景色を正しいものだと思いこむと、わたしたちは関係のなかで苦闘することになる。”