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teresuwatebesu's blog

ときどき宇宙のことを考えるといいらしい

青年A

こんな時代にあって、世の中の行く末を思案するということは、地球が、人類が、これからどうなっていくのかということを案じるのと同じくらい途方もない規模のことであって、「明日もし地球が終わるとしたら」という、よくある空想の質問と同じくらいくだらない。いや、質問の内容がくだらないのではない。それを問う風潮がくだらないというのだ。大きな時間の流れの中で、世間で取り上げられるニュースについて考えることが、果たしてどれほどの意味をもつだろうか。

マスメディアの情報は言わずもがなだが、それは媒体を変えたところで同じことだ。これだけ発達した情報伝達のツール。たとえ質の高い情報を自分で選んで仕入れたとしても、やはりそれは自身の生涯を見つめたときには無に帰してしまう。おまえは自身の身さえ案じていればいいのだから気楽なものだ、という人があるかもしれない。だがそれはたとえ僕に子どもができようと、同じことだ。その時代に生まれたスパンで考え行動する、己の感性に従えばいい。子供にもそう教えるつもりだ。もっとも僕に人生の伴侶ができれば、の話しだが。

そして僕たち人間の、信じたいものを信じようとする習性は、どんなに知恵をつけても、無くならないもののようだ。


善悪を論じることは、ただ疲れるだけだ。人間である以上、条件や境遇や環境でいくらでも醜くもなりうるし賢くもなりうるものだ。
知恵のない権力者に腹を立てても仕方がない。彼を憎むか憐れむか。憎しみの上に築かれた金と権力など憎むに値しない。


ひとりひとりの心がけで世の中は変えられるという。この言葉を用いる人の中にも大きくわけて二通りいる。目を爛々とさせて喋るやつと、失望を知った目で、それでもなお可能性にかけて語るやつと。あるかもしれない。その可能性を真っ向から否定するほど根拠のない話でもないと思う。だけど、一人くらいサボったっていいだろう。考えずに考えることをやめたわけじゃないのだから。

生きているうちに役に立つ情報があるとすれば、天気予報くらいのものだろう。もっとも、そんなものは朝出かけるときの空を見ればいいことなのだけど。その一日の天気は、だいたい朝が教えてくれているのだから。



そして僕はこれを、誰にも話さない。






伝えないまま死んだ人の物語を空想す