teresuwatebesu's blog

ときどき宇宙のことを考えるといいらしい

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社会科の女教師は驚くだろうか

僕は自分が平凡であること、ひどくつまらない退屈な人間であることを日頃の生活の中でふとした瞬間に思い知らされるとき、必ずあの日のことが淡い映像として蘇る。


あの瞬間を、当時の僕は誤魔化そうとしていたと思う。
それを認めてしまっては、僕は僕であることを許せなくなってしまうかもしれない。
いや、きっとそこまで考えてはいなかっただろうけど。
それでも、目を逸らそうと努めていた自覚ならはっきりと覚えている。


僕は痩せていた。頼りないほどに。
ガラの悪い友人からつけられたあだ名は「貧弱」だった。

学校での立ち位置はあまりいいものではなかった。かといって常にいじめにあっていたわけでもなく、気の弱いひとが誰でもそんな目に合うのと同じくらいのいたずらを受けるくらいのものだった。
これだけわかりやすい弱点があったにもかかわらず、集中的ないじめの対象にならなかったのは、おそらく僕が、媚びるのが上手かったからだろう。いや、上手い、とは言えまい。

媚びというのはそれなりの見返りを見越して、媚びた本人が多少の満足を得られてはじめて媚びたといえるのだとおもう。
そうして考えると、僕の媚びは媚びきれていなかった。いつも冷や汗でてのひらは汗ばんだ。媚びているあいだは命がけだ。それでもその中途半端な媚びを売りながらその場をしのいできた。

この歳になってさえもそれは消えていない。きっと持って生まれてしまった矮小な性格なのだろう。最初のほうこそ、そんな性格を忌み嫌い、矯正したいと願ったり、努力らしきものもしたつもりだった。だけど、気がつくと「嫌だ」と嘆く気力さえ無くしていた。

生まれたときから天才が天才になると決まっているみたいに、何者にもなれないものが何者にもなれない、というのは抗いようのない事実でありそこには否も応もない。

ジョンレノンはジョンレノンとして生まれた。生を受けた瞬間から決まっていることだって世の中にはあるのだ。


「貧弱」という名がついたのは多分見た目だけの問題じゃないのだろう。僕は当時、ひと月に一度は原因不明の吐き気に苛まれ、学校を早退したり休んだりした。たしかに僕はその言葉の響きにマッチしていたかもしれない。

一度だけ、比較的仲のよかったひとりの友人と喧嘩、というには互いにいまひとつ度胸のない、ちょっとした口論になったことがあった。
目を逸らし合いながら、直接的なことは言わず、だらだらと続く舌戦に悶々としていたときだった。悔しさに押されて彼がつい口に出していた言葉が「貧弱」だった。

彼はそれを口にしたあと数秒のあいだ、人差し指を忙しなく動かしていた。

身体の一部に極端に力を入れたり、素早く動かしたりするのは、言ってはいけないとわかっていることを言ってしまったときの合図なのだと知ったのはそれからずっと後。それでも中学生の僕は、それが後ろめたさからきたものであったことを、なんとなく読み取った。


ショックだった。彼が少なからずそう思っていたことが。僕がその言葉にダメージを受けるということを知っていて使ったことが。

数日経って学校で会ったとき彼はケロリとしていた。友だちと喧嘩をしたあとに徐々に近づきあい、時間と共に修復される類の出来事だと、彼は思っていたのかもしれない。
もしかすると彼は、あの発言をしたときに感じた罪悪感を忘れたのかもしれない。

僕は忘れられなかった。
仲直りしたいとは思っていたけど、うまく笑えなかった。顔の筋肉は嘘をつけない。

それから段々と自然に距離は離れていった。