teresuwatebesu's blog

ときどき宇宙のことを考えるといいらしい

無念

自分のやりたいことも目標もないのに

なにか(仕事)を一生懸命にするということをしなくてはいけない

したくないことのために頭を働かせなくてはいけない





ここに矛盾を感じずに(感じても深くは触れずに)
人生とはそういうものだ、と
生きてるひとは強い

社会的にという意味だけど


いまの世の中ではそういうひとが重宝される





それは生きていくため

その言葉の響きに惑わされて

仕方ない、って思考に連れていかれる




おれがなにをいったところで
それは屁理屈だと片付けられてしまうとおもう

だけど

だけど


この鬱屈とした気持ちにだってちゃんとした理由がある、説明がつく

じゃあ説明しろといわれて直ぐに明白にできるほど単純でもない


説明できないから無い、ってことにはならない

むしろ説明しにくいことにこそ真実は隠れてる



それに、伝えられるとも思えない

推し量ることでしか見えてこないことが世の中にはたくさんあるから

あなたに話したところで

聞く耳をもっていなければ
それは話すだけ無駄というもの

お互いにとって




ちゃんと、いまの仕事をしようとは思うよ

それは単純に、生きてく辛さみたいなものからいままで避けてきたから

もういい加減逃げるのもよくない、逃げられない年齢に差し掛かってきたから



だけどやっぱり

真剣にはなれないよ


心のどこかで

どうでもいいと思ってる自分がいる

自分の行く末も他人からの評価もいま生きてる今日も過ぎた昨日も
寝たらすぐやってくる明日のことも


どうでもいいと思ってる

べつに投げやりなわけじゃない

ただ自然と

そこにただ置いてある置物のように自然と
そういう考えが根底にある


それは動かしようがないし

動かそうともおもわない

だってこれがおれがいままで培ってきた価値観だから

そんな考えは捨てろ、と言われることは
人格を変えろ、といわれるに等しい


だからか

だからなのか


仕事に対して熱意がもてない

昨日のことを聞かれても覚えていない


自分の発言さえ
自分が見た景色さえ

記憶に残ってない


どうでもいいと思ってるから

記憶は、脳がいらないと判断したものから捨てていくらしい

まったくそのとおりなんだろう





誰に求められなくてもいいから
ひっそりと
ただの、いい人、当たり障りのない人、印象にはのこらないけど、いてもいなくてもいい人

そんな一見欲のなさそうな、妥協した人物像に近づくことすら
叶わない夢なのかもしれない



欲望がどれだけ減ったって
幸せは遠のくばかり


しあわせになるには欲望を減らせと
むかしの外国のロッカーがいってた気がする

だけどその価値観の意味がわかるころには

もっと深い渇きを知ってしまっているってことじゃないか



欲望を満たして得られる満足で
瞬間的にでも幸せを感じられるのなら
そのひとは幸福なんだろう

幸福なんだろうし

傍にいるおれからみても
幸福ってそういうものなんだとおもう




あーしんどい笑