読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

teresuwatebesu's blog

ときどき宇宙のことを考えるといいらしい

欲望の洪水

ここに書く、ということの当たり前さ加減




だいたい、ひと昔なら
自分の感情っていうのは
自分の中で処理されるのが常だったはず

あるいは日記のようなかたちで書き残し
自分か、もしくはそのノートを手にしてページを繰った相手にしか確かめようのないものだったわけで


こんなにいとも簡単に
特定多数の人間に自分の感情や主張や出来事を披瀝できてしまう手段を得たのはほんのここ十年くらいの話じゃなかろうか




欲望を思いのままにただ垂れ流したいだけ垂れ流せるツールを得てしまった


競い合うようにして自分を売り込みたくなる心理

書き残さないと

自分が存在してること、自分が生きている、生きてきた証拠として
書き残さないとまるで損をしてるかのような錯覚を覚える





よく考えてみたらわかることだ


自分の関心ごとが必ずしも他人の関心ごとだと思わないこと


それは自分自身について言えると思う

自分のことがすきなのは(好きにせよ嫌いにせよ、過ぎた自意識があるなら)

ほとんどの場合

自分だけだ


誰も気にしちゃいない(しかも人間には忘れるという機能まであるゆえ)





自分の生活を助けてくれるわけじゃない他人に媚を売る理由はなんなんだろう


世間体って誰だ?




どうして群れる匿名の人間の批評が優位な風潮なのか


まるで
学校でいじめられてた冴えないあいつが
いじめられるに値するだけの
冴えなさ加減を醸し出してるから

みたいな、見て見ぬ振りを決め込む
教室の中の大人しい共犯者をそのまま映し見てるみたい



だからって、特別なにかの感情に駆られるわけでもない(そりゃすこしは腹もたつけど)

でも案外、それを傍観してる気はする



失望に慣れたのかもしれない








追記



そうだ、

書きたかったのは

もっとも肝心なのは

おれ自身についても言える、という点


ツイッターにしろここのブログにしろ

自分にとって

書きすぎる、というのは
なんの意味もない

むしろ、くそつまらない日常を生きてる身にとっては
書くことなど、感じることなど
そうそう無いし

感じたつもりになったりして
書くっていうのは

自分で自分を騙して(しかもそれがたいていの場合ネガチヴ思考)
感情の悪循環に陥る羽目になることが経験上、多々あった


だから ここに重きを置かないこと


言えなかったことも
消化できない気持ちも
身体に溜め込んだまま死んでしまっても

それを損なことだと思わないこと


そういうスタンスでいるだけで
すこし心がらくになれるような気がするしね


よし

自慰おわり