teresuwatebesu's blog

ときどき宇宙のことを考えるといいらしい

I want to make you sad

死ぬ、ということに関して

考えるともなく考えてみた

鼻の穴かっぽじって考えていた


僕がなぜ死を畏れるのか

ひいては

人がなぜ死を畏れるのか




死後の世界の有無、それに対する不安や怖れ?

この世界への未練?

死に伴う痛みの想像から?


こうして話せなくなるから?





どれも頷ける理由だ


だけど

いちばんこわいのは

死ぬ、ってことより

ひとに忘れられること、なんじゃなかろうか、と最近になって思うたのね


なんだ、そんなことか

と思われるかもしれない




人の記憶はそう長くは続かない

事実は覚えていても

そのときの状景や表情や感情を細かく覚えていることはできない


ふとしたときに痛切に思い出したりすることはあっても

たいていの時間は忘却の中で流れる




人の記憶の中で生きてるといってもいいくらい

自分ではない誰かに依存しながら生きてる


もともと少なかった友達をすてたいまでさえその感覚は拭えない

万人に、とはおもわないけど

僕のことに興味をしめしてくれるひとがいるのなら、

その人たちの記憶に 爪痕をのこしたいという欲望なら心の奥にギラギラとある。



どこかで自分のことを覚えていてほしいとおもう。自分にとって都合のいい部分だけ。笑




そうやって
他人の記憶や印象を頼りにして自分の像を築いて

他人の関わり合いのなかに、「本来の自分」を無理に見い出してきた気がするんだよ



自分を誰かに植え付ける

これに勤しむために生きてきて



最終的には、自分自身のことで悲しんでほしくて生きてるんじゃないのかって


自分が死んだあとに、彼らが泣いてる姿見たさに人は人と繋がろうとするんじゃないのか

少なくとも自分はそんな自分であれたらと夢みてた


誰かにとって価値のある人間であれたら、って



だからいま、空っぽなんだな



いままで自分がすがってたものが

なんの意味もなく

それがほしくてたまらなかったり、それがほしいとはおもえなくなったり



自分から死ぬほど切羽詰まってはないけど


いつ死んでも あまり未練はないかもしれない


悲しんでほしい対象となる人も、いまとなってはもういないから




それでもおれはだれかを悲しませようとして生きる




だけど、残念ながら、悲しむ人なんていない



その冷たい事実が僕を安心させる