teresuwatebesu's blog

ときどき宇宙のことを考えるといいらしい

怪物はささやく

怪物はささやく、良質な映画だった。

 

---------あらすじ---------

さびれた教会の裏通りにある一軒家。

主人公であるコナー少年は、病気がちな母と息子の二人暮らし。

母は病気のために寝室にこもっていることが多く、

炊事、洗濯はもっぱらコナー少年の日課だ。

 

そんなコナー少年は空想に耽ることが大好きな男の子(おそらく中学生)。

学校の成績は申し分なく、絵を描くのが好きで暇さえあればノートに絵を描いている。

 

しかし、世の中にはそうした特異な存在、周りとは少し違った存在に対して

よく思わない連中がいる。

それが、腕力もなく、気の弱そうな人間であればなおのこと。

暴力は強い者に微笑みかける。

 

コナー少年の部屋の窓から見えるのはだだっぴろい高原と、樹齢300年を超える巨大なイチイの木。

ある晩、いつものようにペンを走らせ、夢中で絵を描いていたコナー少年は、自分の名前を呼ぶ声に気が付く。

 

それは巨大なイチイの木の怪物だった。

「これから3つの物語を話す。そして、4つ目はお前の真実の物語を話せ。」

 

突然の出来事と、わけのわからない提案に、コナー少年は食い下がるも、

1つ目の物語は語られるーー。

 

 

 

 

 

 

---------ネタバレ感想---------

見終わったあとに、この暗示的な物語は何かに似てる、どこかでおれは知ってるはず、形容できるはず、と思っていて、でもそれが言葉として出てこなかったんだけど、一晩寝て思い出した。

 

この映画はスピリチュアルだ、と。


3つの物語はとても哲学的で

受け取りかた次第で、どれも嫌悪感を抱かせてしまいかねないお話だった。(あえて中身は割愛します。)
けどそれがおそらく色んな、スピリチュアルな分野や脳科学の分野、かつての文豪と呼ばれていた人々が語っている真理であり、人間にとっての不変の事実であることは、素直に頷けた。というか、裏付けられた。

 

ただ、母親の病気が治癒が難しい病(余命いくばくという)を題材に扱っているために、下手をすると最後の彼の告白は、一部の人たちの反感をかうかもしれない。いや、子供への同情心で相殺されて、「共感は得られにくくなる」のほうが適切かな。

 

おばあちゃんの孫に対する態度が最初から酷というか、

たしかにコナー少年の態度は多少生意気ではあるけど、

彼の境遇を考えると、すこしは優しく接してあげてもいいとおもった。

 

それか、彼女自身もそんな境遇で生きてきた身であり、そんなことは不幸でもなんでもなく、それが人生だと、そしてそれが彼女の真実。という見方もあるか。

 

ただ、あまりにも突き放してる感じがしたので、そこだけは気になったかな。

いったい過去になにがあったの?という感じ。(これから起こることが以前に起きていたなら話は別なんだけど)

 

 でも気になったのはそのくらいなもので、

 

コナー少年の心の変遷は、物語の映像もあいまって、とても美しかった。

深刻さでいえば比べるべくもないけど、多少なりともそうした自分の心の叫びや破壊衝動を、人間社会一般の倫理観にあてはめて、それが間違っているような気にさせられ、見て見ぬフリをしてきたことへの自覚がある自分としては、見ていて心地よく、背中をさすってくれているような温かさを覚えた。

 

印象的だったのは、怪物に語った4つ目の物語である真実は、彼がずっとため込んでいた、ある意味残酷な心の叫びで、ここで一瞬、眉をひそめた人もいると思う。

でも、それがきっと大事なことなんだろうなと身に染みて思う。

 

人間がときとして残酷なのは、あの震災を機に、アンテナを張って生きていれば、思い知らされることだと思う。

 

 

心の奥の奥の潜在意識は正直で、ときとして残酷で、

倫理観というものさしではかろうとすると、それはたちまち多くの人間に怪訝な顔をされることになる。

だけど、自分という個人の幸せの単位で物事を見るなら、その残酷さは、その残酷さを自ら知り、受け入れてあげることは、ものすごく大切で、それさえできれば幸せになれる、といっても言い過ぎじゃない気がしてる。

 

さらにこの映画の優しい、愛のある映画として完成されているなと思ったのは、ラストらへんで「いかないで」と泣きながら素直に抱き着いたコナー少年のシーンだ。

 

 

「終わらせてしまいたい」

 

「いかないで」

 

そのどちらもが真実で、誰にも咎めることなんかできない自然な気持ちなんだよね。

 

 

怪物はささやく」 は、古典的な「少年と怪物とのファンタジー」という体裁をとっていながら、

その中身はまさしく今の時代にふさわしいモダンな、心の病の治療法が語られている映画でした。

 

 

ぎゃーーもう一回見たいなこれ、、

最近の映画当たり率が高くてちょっとこわい笑

消えたPコート

sate,さて、前々回のブログの続き。

 

どこまで書いたか覚えてないな

 

読み返してくる。

 

なるほど、 一人暮らしのための手近なステップアップ目標を書こうとしていたわけだ。

 

そして現状クリアできているのか。

 

・12時までに布団にはいって目を閉じること

 

…明日から明日から。

 

・歯医者へ行く。

…、予約すらしてない。

今日しようとは思ってたんだよ、だけど昼過ぎに気付いたからさ…

 

 

・髪切り

 

実はいまの髪型気に入ってるんだよね、うん、まだ早いかな~って

 

 

 

惨憺たる結果だな

 

これは書き出した甲斐があったというものだよ

 

そして、非常にシンプルに思ったのですが、人の心を探りすぎですあなた

 

無意識さんでも習ったじゃありませんか。

おまえは阿呆だ

嘆く必要もないほどに

あからさまに阿呆だ

だからこれでいいんだよ

ものさしはね、人それぞれなんだ

 

丸くなるというのは

すこしさみしい

行きつく果ての言葉って

結局ちまたにあふれてるうわべだけの言葉に帰着する

 

あれだけドスグロイ感情を通ってきたのに

それは誰もがつかえる常套句

見分けはあまりつかない

 

でもそれでもいいんだよと

おもえるようになりつつある自分が

すこし誇らしい

 

はい、目標続き。

 

・やりたいことは無印ノートに書きつける

 

これですね、これはもう買いましたよ、無印ノート。

さっそく思いついたやるべきことリストを羅列している。

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最後のほうどんどん抽象的になっていくな…

いいことだけども

 

綺麗に書く、といういつものおれの癖を

あえて出してはいけない、というルールのもと

思いついた言葉を、思いついたままに書く。

ま、自分で読み返して伝わる程度にはまとめる。

 

これは先日、はてなブログ徘徊してたときに

どこかのだれかが「0秒思考」という本について解説してたのを見たところから着想を得た。

 

真面目に読んだつもりだけど、いま説明しろっていわれても忘れてしまったからほんとうにこれが0秒思考と関係あるのか知らないけど、

とにかく紙いっぱいに書き出してみる、てきなのはあった気がする。

 

で、欲望のままにペンを走らせるって、めちゃ気分がよろすぃー。

なんか、書いただけで「あ、おれってこれがしたいんだな」

みたいな、確認作業ができるし、なにより忘れっぽいおれにはとても相性がいい。

やらなきゃいけないこととか、やりたいこと、って

乱暴にまとめるなら、ひとつの小さな欲望であるわけじゃない?

てこたぁ、無意識下では、抑圧された感情として鬱積してるんじゃない?そうじゃない?そういう欲望が目に見える、というのはとてもいいストレス解消になるんじゃない?なんておもったりした。

わかりやすくいうと、おしっこしたあとみたいな軽度の爽快感、だな。

 

これは続けてみようとおもう。

ま、決して人に見せない、というのが鉄則ですがな。

このノートがもし身近なひとにバレたら、気がこまいから人間社会に復帰するの難しくなりそうやし。そのてんは気を付けよう。

 

 

てなわけで、ここに書いてく必要がなくなったのだ。

さらば。

 

 

きょうのデリヘルのこ

はずかしいといいながらも

すごく一生懸命がんばってくれて

楽しませてくれようと促してくれて

雰囲気づくりも一生懸命してくれてたのに

 

なのにおれは怖じ気づいてしまって

気後れしてしまって

 

それはほんとうの笑みなのか

ほんわかキャラを作っているんじゃないか

 

 

とか

 

そんなん、どうでもええやん

 

ほんとに惚れてくれるとでもおもったんか?笑

 

とおもう一方で

 

あまりにも純粋すぎるその振る舞いが

怖かったのかもしれない

 

 

世辞を素直に受け入れられないのは誉められなれていないせいなのか

 

ほんとに申し訳なかったなあ

 

それにおれはほんとうにただ隣にいて

抱きしめたいだけなんだとあらためて気づいた

 

だしてしまったあとにくる虚しさが

一瞬の快楽に勝るとは到底おもえない

 

ただとなりにいてほしい

完全に病んでます

 

だしたくなかった

またひとりぼっちの夜

 

 

 

 

追記

 

 

なーにぬかしとんじゃいあほどれ

 

体がえろえろで顔立ちが美人で

抱き心地ばつぐんで

ただ単に気持ちよすぎてもっかいしたいだけじゃろがい!

 

またよびます。でへ

 

 

ちん。

メッセージ

メッセージという映画を見た

 

劇場でこういう映画を見たのは意外にも初めてだった

 

こういう映画は好きだから

わりかしチェックしてはいるつもりなんだけど、

 

深遠なSF映画というか

SFと少しのオカルトと現実の世界の融合というか

 

まあたしかに映画慣れしてないと、あるいは宇宙について思いめぐらせたりしたことがない人が見ると、よくわからん映画に分類されそうなマニア向けの映画だった笑

 

隣のおじさんいびきかいて寝てたし…

 

 

予想と違って公開初日の客の入りはよく、カップルも半分くらいはいたのには驚いた

 

おれとしてはインターステラー系の映画だと期待していたので、カップルで見るには退屈じゃないか?と

 

たぶん宣伝効果だろな、「ばかうけ」とか

日本向け宣伝動画とか(中国の……ね)

 

監督がボケたのは多大なるリップサービスであったことは映画の内容を見れば一瞬でわかる

 

笑いの余地はいっさいない

 

 

映画館全体が「キョトン」とした雰囲気に包まれていたのは傑作だった

 

そして誰ひとり結末に泣かないというのも、ね

 

無慈悲な生物によって、人類のために己の人生と運命を強制的に犠牲にされ、歓びも哀しみも既知のものとして生きていかねばならないという想像を絶する苦悩は

 

余命いくばくかの彼女を、全力で支えるイケメン彼氏の映画よりずっと深刻なんだけどな

 

 

監督はほくそ笑んでいることでしょう

そんなアイロニカルな面も含めてとても好きな映画になった

 

拾えなかった部分もあるし雪ダルマ式映画だし

こういう映画を劇場で見れることってそうそうない気がするので

また来週見に行く

 

わたしがカメラの前で素っ気ない態度をとり、

馬鹿にされたと感じるなら、あなたは低俗な世間の一部よ

 

ーグレタ・ガールー

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彼ら、彼女らの口から語られる手段や理由がいかに稚拙であろうと、

その奥底にある漠然とした淋しさや不安は

誰しもが抱えており、誰しもがいつか目の当たりにする闇である

 

ただ感動の涙を流したいという女の子と

心を震わせてくれる映画に出会うことを期待しているこのおれと

なんの違いがあろうか

 

 

 

ツイッターエマ・ワトソンの刺激的な言葉を知ったおれは

彼女の演技を見たいとおもい、美女と野獣を見ることになった。

 

いやー、うつくしい。

なんだろう。素朴なうつくしさだ。

 

前評判のいい映画やトレンドの映画は、どうしても苦手。というのも、観客の空気に流されてしまうからだ。

作品そのものをじっくり自分のペースで咀嚼し鑑賞するよりも先に、観客の熱に呑まれてしまうというか。

まあ理由はいろいろある。

 

美女と野獣もきっとそんな感じだろうと思っていたので、あえて平日の、しかもさびれた映画館に目星をつけ、足を運んだ。

 

入場が遅れてしまい、うしろのほうの隅っこに席をとった

 

ここの映画館は予告中であっても、照明の類は切られており、画面の明かりしか頼りにできないため、奥へ進むのは危険なので断念せざるをえない。

 

館内はそれほど人はいないようだった。

 

座った瞬間、物語ははじまった。

 

心理的にどんな作用がはたらいているのか、わからないけれど

 

おれはどこまでもやさしい気持ちになっている

 

単純に久々に休みを満喫できたからだろうか

 

映画館を出たその足取りはかるく

遠くの景色をたのしみながら帰宅した

 

その理由を少し考えてみる。

 

もしかしたら、もしかしたらだけど。美女と野獣という、あまりにもエンターテイナで、商業的で、大衆的で予定調和的なものにたいして、心を波立たせることなく、素直に受け入れられた自分の成長ぶりが、うれしかったのかもしれない。

 

もちろん、物語のあらを探そうと思えばいくらでもある。

肝心なところでいえば、ベルがなぜ野獣を愛したのかやっぱりわからないもの。

だけど、そんな自分のなかの声は遠く、気にはならなかった。

 

みんな、なにかしら抱えて生きてんだな、としみじみおもったよ

なんでかしらんけど

 

3つ隣の席に座っていたお姉さんが、物語中盤以降泣いていたのかな、と思われる鼻水をすする音がかすかに聞こえていた。(ただの花粉症かもしれない)

 

幼いころに見たアニメの記憶が蘇って、いろいろ思い出して、さみしくなったんかな、とか、懐かしかったんかな、とか勝手に想像した

 

あまり熱心に見たことも、音楽を聴いたこともなかったおれでさえ、

劇中歌のあの音楽は、たしかに胸にせまるものがあった。(というか、あの曲が美女~の曲だったとは。中学の給食時間の校内放送であのオルゴールがよくかかっていたものだった。)

 

どんな理由であれ、泣くという行為には本人さえ気づいていない痛切さが含まれているような気がしてる

心の叫びというか

仮にそれが絞り出した涙だとしてもね。

だから泣いてるひとにはやさしくしたいなとおもっている。

まあ、そわそわするだけなんだけど

 

映像も美しかったし、CGもすごかったし、ミュージカルも素敵だった。満足。

 

欲をいえば、エマのお顔を、もっと真正面からじっくりと拝見したかったけど。

もうこれは絵画をみるときのような心境に近い。(絵画しらんけども。でも、芸術作品を見るときのような心境)

 

この映画を見た後の感覚って、なんか身に覚えがあるとおもったけど、ゼロ・グラビティだ。

あのときの神聖な、穏やかな気持ちに似てる。

 

こんな気持ちが長く続くことはないってわかってるけど

こんな1日を体験するために、また生きのばしてみるかという気持ちになれる。

 

また今週末はメッセージっていうおもしろそうな映画の公開がはじまるから金曜日が楽しみ。そこに向けてのこり3日間がんばろう。

それほど(というか、まったく)賢くはない人間なのに、太宰治がよく指摘していたような人間の狡猾さや、世の中の仕組みや悪事といったものが、嫌というほど目につき、自分のなかでそれを暴きたてる才能だけはあるのです。なぜか。

そしてそれは、半ば当たっています。

 

べつに自慢したいわけじゃないのはおわかりでしょう?

どこに、25にもなって厭世的な自分を他人にひけらかして悦に入る人間がいますか?

そもそも25で冴えない暮らしを送っている時点で、もう私が選ばれた人間でないことは誰に説明する必要もないことでしょう。

 

よしてください。あなたの拗れた自我に付き合わされるのはごめんです。もういいですか。

 

 

世の中を正しく捉えようとするなら、たぶんそれは歪んだ状態が正常なのです。

俗物であるあなたが否定しようとも、これは紛れもない事実なのですから。

贔屓にしているものはなんですか?

この質問だけで、たいていのことは分かります。分かりますとも。

…なるほど、あなたはやはり、なにも知らない迷える子羊のようです。

 

 神は何故、私のような気概のない男に、このような能力を託されたのでしょうか。

ねむたいのでなむります