teresuwatebesu's blog

ときどき宇宙のことを考えるといいらしい

女たちの避難所

垣谷美雨さんの小説、女たちの避難所。

 

あの東日本大震災をモデルにした地震が起こるシーンから、それぞれ立場の異なる3人の女性が描かれていく。

 

この本では主に避難所での生活がクローズアップされる。

その内容は完全な創作というわけでは決してなく、さまざまな文献や筆者が被災者自身から聞いた現場の声をもとにして作られている。

 

の、だけど。

 

憤り。

 

この小説をひとことで表すなら、これ。

 

とにっかく、腹が立った。とくに男という生き物に。

 

そしてずるいのは自分も男という立場にありながら、男を軽蔑する態度ね。

まあ、はい、そうですとも。おれも男にはちがいない。

だがしかし、である。

 

人間というのは理性的に振る舞えない未曾有の状況が続くと神経がマヒしてくるのですね。それはアイデンティティーであったり、欲望のコントロールであったり。

さじ加減がわからなくなる。躁鬱てきなことになる。

 

てなことはなんとなく日頃から自覚しているし、社会とは理性の皮をかぶった化け物が回しているということを知っている人間だと自分ではおもっているし、そういったことであったり生きるとは、みたいなことを自問したりしたことがない人たちとは違うのだ、ということはここに書き記しておきたい。

まあ男が全員というわけではない。もちろん。理性を保てるのならむしろ味方になってくれるだろう。ただ、その理性という仮面をひとたび失えば、動物の雄と化す生き物なのだということは、頭の片隅に入れておいたほうがいい。

 

とにかくこれ衝撃ですよ。女性は普通の防災だけでなく、男から身を守るための対策も練っていたほうがいいかもしれない。

 

 

 

 

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この記事は九月に書いたもので、下書きに保存していた。

 

なぜそのとき更新しなかったのかというと、「男のくせに」という風潮が、いまだに日本にははびこっているということを、今にして思えば、なのだが、おそらく心のどこかで懸念していたのだと思う。

 

でも、それを書こうと思ったきっかけがあった。

ときどき覗きにいく、(ある界隈では)カリスマ的存在である女性ブロガーさんが「自信のない男はきもい」といった類の記事を書いていたからだ。

普段からこの方の発言からはあらゆる方面で刺激をうけ、叱咤激励されているような気持になったり、考え方を自分でも取り入れてみたりと、学ばせてもらうことが多いブロガーさんだ。

そして今回もその例に漏れず、「なるほどな」と納得させられたわけである。納得というか、薄々知ってたけど、堂々と言語化されているものを目にしたのは初めてだったので、なるほど、なるほど、という感じ。

 

まあ、自分はというと、自信のないきもい男に間違いなく分類される男なんだけど、そうした人間は、もともと男性社会においても立場がないうえ、こうして女性にもdisられると、ただでさえ自己肯定感が低く、つねに自問自答自虐のオンパレードで、まさに行く当てがまるでない。これでは存在価値が危ぶまれ自殺してまうではないかと、誰かが救ってやらねば、と思ったのでこの機会に、「自信のないキモイ男」である自分を大事にしてあげるためにも、書いておこうと思ったのだ。

 

その空虚な自信は、これまでの日本社会であったなら

重宝されたかもしれない。

いや、いまでも全然そうだけど。

 

ただ、その空虚な自信を持った男の大半は、「理性を騙す」という代償を追っていることを忘れないようにね。

刃物の背であるということは忘れないようにね。

 

野蛮であることを是としてきた社会。

それが顕在化していると感じるニュースが増えている昨今。

 

男は度胸、とする主張はもっともであり、くだらないが悲しいかなそれが現実であるということになんら異を唱えるつもりはない。

 

 

ただ、自信のないやつには自信のないやつなりの矜持があり、それを侮辱されたと感じたときには黙っていられない。

 

 

 

それと数カ月前の自分に告ぐ。

 

>そしてずるいのは自分も男という立場にありながら、男を軽蔑する態度ね。

まあ、はい、そうですとも。おれも男にはちがいない。

 

いいえ、おれはやつらとは違う。

どんな状況になっても理性をないがしろにしたりしない。

もっと自分を肯定してあげましょう。

汝、我が民に非ズ (加筆修正版)

待ちに待ったこの日がやってきた。

なんとなく、ツイッターをフォローし、なんとなく町田氏のつぶやきをチェックするようになったのが数か月前。そのつぶやきのほとんどがイベント告知に関するもので、大概のイベントが開催されるのは、東京。

実用的でないと思えば、いくら好きなアーティストでもフォローしないという謎のポリシーがある僕ではあったが、なぜか町田氏に関してはふと、フォローしようと思った。

 

その数か月後に、小倉でライブをやるとの情報が。

まさか、生きてるうちに町田康の歌とトークを聞けるなんて思ってなかったから(東京行けよ、というだろうがおれにとって東京は存在しない街になってしまった。幻の都)、その告知を見たときは手が震えてしまった。

 

たまたま職を失ったタイミングでもあり、平日発売のチケットは無事に獲得。噂では即日完売だったらしい。やはり町田康氏は大人気なんだな。

 

とにかく最高だった。濃密な時間だった。

演奏、歌、メロディー、詩、抑揚、振る舞い、言葉、ユーモア、文学、近松門左衛門

 

おれが女性であれば間違いなく惚れている。性的な意味で。

そういや客層もファッショナブルな美男美女が多くてびびった。さすが町田康

 

 

インロータキンとつるつるの壺聴けたのはとてもうれしかった。

19のときに歌っていた歌を、まったく衰えを感じさせずに歌うってすごくないっすか。

 

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はい。んで、おれがなんで明日は朝も早よから散髪に行かねばならんというのに寝る時間を惜しんで書き出したのかというと、備忘録のためである。

町田さんのトークの内容はさることながら、ごく個人的な気付きを得られたので忘れないうちに書き止めておいて、打ちひしがれそうになったときに思い出そうという意味を込めて書いておこうと思ったからだ。

 

それは、主張を持っていいんだな、ってこと。

なんか最近、というかここ数年?

たしかに自分の生き方、自分の考え方は、周りに流されることなく生きるべき、生きてよいのだ、とする気持ちは常に根底にあって、そうありたいと願い続けてきた。と、同時に、数々の自己啓発書やスピリチュアル的読み物を漁っていたこともあってか、「人それぞれの考え方があり、個人にとっては真実であることを他人は否定はできないはずだ」「批判的なモノの見方をするまえに、多角的に物事を見て、肯定的に捉えることが重要だ」などという、今にして思えば、安易な、大衆的な、事なかれ主義的な、日和見主義的な思想に毒されていた、ということに、町田氏の詞と曲であれば、曲から作るものを是とし、詞からの創作を非とする町田氏の主張を聞き及んだとき、平手で頬を叩かれたかのように、目が覚めた。

 

たしかに多角的にものをみる姿勢、視野の広さは大切だ。その考え方を知っているというのは、自分の意見に心酔してしまうことを防ぐための手段ともなり得る。だ・が、だがしかし、だからなにを見るにも好意的な目線で物事をみましょう♪てきな視線で毎日を生きていたら、それは死んでるのと変わらんやないかい。

人間は肯定するためだけに生まれてきた存在ではないはず。

と、いうか。本当に大成した人物っていうのは、何かを成し遂げた人というのは、偏っていたからこそ、極めることができたのではないか。

 

ビジネス書の類は、たしかに参考にはなる。

スピリチュアルしかり。

 

 

 

だけど、一番切り離すべきである他者を、必ずどこかで尊重し、争いから避けさせようとする傾向にある。

 

むしろ本当は真逆で、自分の主張のためなら争いも辞さない覚悟、自分への信頼こそ、己の生きやすさを獲得するための、なにかを成し遂げるための、極意なのではないかと、町田氏の今日の講演を聞いて、そんなことを思った。

 

最近の自分の浮ついた感じの原因って、これだったのかな、と。

いやー、おれ町田氏に何度救われてんだか。

 

ライブ中も何度も目が合った気がした。(うぬぼれ)

あの歌ってる最中の笑い顔。

ときおり見せる、刺すような鋭い眼差し。

 

現役のパンクロッカーが生で見れたのは一生の思い出や。

 

 

ただ、心残りなのがサイン本。。

 

書籍を購入した人のみサインをもらえるというのはあらかじめ聞いていた話だったが、まさかの売り切れ。

一人一冊しか買えないはずだし、ハコに入る人数も決まってんのに人数分ないってどゆこと、、、、、、

 

完全にサインもらえるつもりでいたからショック。

しかもツイッタのぞくと当たり前だけど握手もしてくれたそうな。。。

 

 

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

 

 

 

ものに執着するのはよそう。

 

おれの心にはたしかに、今日という日が、パンクと文学が、刻まれているのだから。


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17/11/30 加筆

じつはこの日、ライブが終わったのが夜でして。

飯屋を探しておりましてん。

駅近くが商店街のようになっており、飯屋は数あれど、寒かったのでうどんが食いたいなと思い、うどんやを探し、けっこうライブ会場からは離れている「資さんうどん」といううどんやで、きつねうどんを食うたのでした。

 

それから数日後に町田氏がインスタにてなんと、「資さんうどん」を食うたという報告があり、やはりなにかシンパシーを感じられずにはおられない所存であります。サインほしかったな

書き留め

 

自分が上手くやれないこと、苦手なことに直面したとき、そんな自分に初めて会ったかのような驚きとか落胆とかいった決まった反応をするよね、おれって。

でもそれは単に問題が眼前にないときには目をそらしているだけであって、能力のあるなしじゃない問題だって中には含まれてる。

変えようと思えば変えられる問題だってある。

その努力のベクトルが間違ってたりするだけで。落ち着いて見極めればいい。

 

これだ、まずひとつ洗い出したことは「自分に本当に必要なもの、必要なスキルに絞って吸収していこう。」

スキルアップ系の本を手に取るときの法則。今現在の自分ルールはこれだ。

 

そう、思った

 

すべては、この硬直さえ無くなれば、もう少しうまく背伸びしてでも強くなれるのではないか

 

疲労が溜まってきた段階ですこしでも緊張すると、首が硬直して思うように動かなくなる。動かすと震えがでてしまう。

 

ほんとうにこれを治したい

 

見ないように見ないようにしてたから、いつも書く段になって忘れてた

 

さすがにこれでは人に警戒心与えても仕方ないだろ

 

冬は寒さもあってとくに震えだすからなー

めんどくさい体

めんどくさい脳

 

また自殺がちらついてる笑

ばかみたい

死ねばいいのにね

飽和

PCの電源を落とした。

 

明日書くつもりだった。さっきまで

スマホでうつのは疲れる

 

今日は残りの時間を趣味に充てようと

思ったんだけど

 

なんか飽和してる。

この飽和感は自滅への入り口になっているのはいつもの傾向。

だからひと呼吸ついておこうと書き出したわけだ。

 

覚えることがあったり時間にゆとりがなくて気持ちが急いていると

 

いや、違う。

溢れててそれを取りこぼしたりいま気付いた気持ちとかを拾わずにいると、だめなんだ。

 

むちゃくちゃだ、あっちこっちに言いたいことが散らばってて、気も散らばって、拾いたいものじゃないものを触ってる。いかん。これは仕切り直す。

 

よし、でもいまそれに気づけたのは良しとしよう。

自虐って良くない。いま読んでる本でどれだけ自虐があらゆる意味で良くないのか思い知らされてる。

もう見に染み付いちゃってるから普段の会話とかでもそのつもりがなくても出てる。これじゃあ自分を愛せない。

おれは自分を愛せるようになりたい。それが30までの目標。っていま決めた。

 

自分を愛するって、とても高度な技術なんだって。だけど周りを見渡してみると、自己愛のある人より、自己犠牲、献身性のある人間のほうが好まれる(ように思われてる。世の中てきには)。けどそれはあくまで表面的な関わりにおいての話であって、フタをあけてみると、尊重されるのは自己愛をコントロールできてる人なのだ。

 

自己犠牲を厭わない人間って、結局相手にしてみれば都合の良い人であり、自分への扱いが酷い人は、相手も同じようにしていいのだろうと、無意識のレベルでそう振る舞ってしまうらしい。これは別の本だったかも。

 

ちがうかなー

そういう話ではあったけど言いたいことと微妙に違うかな

 

あれをしなきゃ、これをしなきゃ

そういう心のスイッチをオフにしたい

 

せめてそうしたいと思うときくらいは

 

なんだろ

余計な思考のせいで肝心なとこで燃料切れおこすんかな

 

つーかこの時間さえ無駄なのでは

 

という考えは自己否定につながっていくようでいやだな

 

だめだ今日は書けそうにない

20分間の糞でした。

 

あーこの掬えてない感じ、ほんとーにいやだ。笑

いま感じてることがぼんやりにでも言語化できてない状態ってほんといやだ

 

この街で

忘れられない思い出だけ残して
君は消えていった

忘れられないうただけ残して
君は去っていった

君は弱いと言ってたけれど
僕に言わせてみれば狡猾で強かだよ

それさえもきっと 悟ったような微笑みを浮かべて
黙って頷いてしまうんだろう

いい気なもんだよな
君の記憶に僕はいないのに
季節が変わるたびに
気が付くと君は 隣を歩いてる

元気にしてくれていれば それが私のしあわせでもあると 告げるくらいなら
最初から言わなくていい

この旋律に僕は 君を探す
君が聴き 想像し 見ていた この遠い町で

何気なくついた意味のない嘘
お菓子についてたおもちゃのオマケ

思い出してなんだか

 

 

目くじらを立てなくなってきたのは
愛とかそんなんじゃない

苦労や愛や憎たらしいほど憎めない人間の性が
普遍的な人類の営みであるというのなら

僕はただ佇み 傍観し 巻き込まれ
無数の叫びに紛れるだけの庶民として生き、飢え、死んでいくのもまた普遍的な流れなのかもしれないと

たしかに世界は残酷で 救いようのない人間による救いようのない人間たちの墓場だけど

目を配れば 手を伸ばせば
あらゆることが無限に広がっており
あらゆることの萌芽を
その一瞬一瞬を、移ろいを
感じ、心を満たすことができる

その感覚的な多幸感は
きっと偽りのないものだとおもうから