teresuwatebesu's blog

ときどき宇宙のことを考えるといいらしい

一号

夏石鈴子氏の「愛情日誌」を読んだ。

印象に残った部分やなんども取り出して読みたい部分の抜粋などを書き散らしていく。記録のため。

 

この人の本を読むのは「バイブを買いに」いらい二冊目だ。

バイブが処女作だったようで、それとは知らずにネットのレビューなどを読んでも面白そうだったので買ったんだけど、短編で構成されていて、どれも楽しく読めた。どれの話も恋愛にまつわるものなんだけど、どれもリアリティがあって、現実にぜったいいるよなあこういう男女。というような、それでいてユーモアもあってすごく印象に残った作品だった。そのときから受けてた印象として、すごく視点が冷静だなあというか、視点の冷静さというのもそうなんだけど、それをそのまま描くこと、っていがいと難しい。そこには自分の経験であったり嗜好であったり気付かないうちに主観フィルターを通した文体になることが往々にしてある。とくに女性の作家にはこういうタイプが多いかもしれない。まあ、それが個性、として重宝され作品の味を決定するスパイスになっているんだろうけど。

にもかかわらず、バイブでは、夏石氏の書く物語ではそういった主観が鼻につくほどには気にならないからとてもいいと思った。読んだのは半年以上前だからあの頃のおれは、という意味でだけど。いまはわからない。本も人に貸しちゃってまだ却ってきてないし。

この機会に読み直したいなあ。

 

 

んで、今回読んだのは恋愛ものから一転、夫婦の、家族の、物語となっている。1歳と3歳の娘と息子、そして旦那。妻である女性の目線で描かれている。これは当時の夏石氏のリアルともつながっているようで、ある意味エッセイっぽいのかなと。

話の中身としては、夫婦の性生活のこと、子供たちとの日常、主人公の仕事のこと、そんなこんなが描かれている。この旦那というのがそこそこ売れてる映画監督というひとで、収入が安定しているわけではないし、世間からしてみると、いっぷう変わった人。だから主人公は働く女性であり、家庭を支えているのはこの人なのだ。当時としてはきっと働く女性、収入の安定しない夫という構図は風当たりが強かったんだろうな、ということが文面を読んでいると窺える。(なんかやけに攻撃的だなあという文章がちらほらw)

じっさいに、夏石氏の旦那さんは映画監督で、子供も二人いて、という家族構成らしいからなにか思うところがあったんだろう。

 

で読み進めてるうちに、なんか、この女性、強くなったな、という印象を受けたw

まあもともとそんな気質であろうことはバイブでも感じられたけど、母親になったのだなというすごくそのままな感想をもった。

 

失礼を承知でというか、そんな前置きをすることが失礼になるかもしれないのでここらへんで失礼を承知していうと、こういう強い女性の振る舞いとか生き方は好きだけど、恋愛対象にはならないな、ということを好き勝手考えましたw

まあ、そもそもおれはこういった女性に相手にされないなというのも想像がつく。

 

とくに最後の「夏の力道山」では強い女性がフルパワーで発散されており、おれはこのひとに嫌われるだろうなwと思うと同時にみんながあなたみたいになれるわけではないのだよ!と心の中で反論したくなったw

あとちょっと登場人物のなかにオーバーすぎやしないか?という役割を担わされているかわいそうなキャラが何人か出てきたのはなんかちょっとな、と思った。

でもまあ、あれなのかな、敵を作らないといけないのかなと。

家族っていうコミュニティを維持するためには。

スタンスとしてはどちらもありでしょうね。という体裁を言葉でも発していながら、あれでもけっこうディスってね?みたいな。部分が見受けられた。

まあ、できるひとにとって、イライラしちゃうのかもね。

怠惰だけでは説明のつかない人間の限定された行動って、あると思うんです。

 

いやいや、それにしても今回の読書は女性の視点というのをまた垣間見ることができたし、そういう些細なことが下手をすれば不和につながっていくんだなあということを具体例として知った。

 

子どもって、毒を出しているのではないか。毒は、おしりの周りと、口の中から出る。その毒を吸うと、大人はどんどん原始人になり、セックスをしたくなくなってしまうのだ。

オムツを替えてやるときや、オムツが取れても、トイレの後、おしりを拭いてやるときに、その毒は撒かれる。無防備なおしりに、親が欲情しないように、子どもは身を守っているのだ。毒のおかげで、ちんちんやおしりを見ても、全くいやらしい気持ちにならない。 

 これはなるほどなあと思った一節。笑

 

「あのさ、地球にUFOが来てるじゃない。でも来てるばっかりで、全然宇宙人は地球を乗っ取りに来ないね」

「まあね」明彦は答える。

「あれはさ、よく調べてみたら、地球のことなんか欲しくなくなったんだろうね」

「そうかもね」明彦は笑う。

「いいけどさ、どうして今そんな話するの?」

「だってもう、わたしには、そういう話できるのは、あなたしかいないんだもん。事務所では仕事の話だけだし、保育園のお母さんにこういう話はできないもん。だからあなたに言いたいの」

 これもなんだか頷ける話。

 

わたしの正体も知らないで、平気で眠り込んでいる二人の子どもを見ると、かわいそうでもあるし、あわれな気もする。 

 ね。いつも世話をしてくれている母親っていうだけで絶対な信頼を寄せている子ども。

幼いころの親と子の認知の隔たりってなんか、すごいな、こわいなっておもう。

 

 本当は悪いことだけれど、明彦の体に腕をまわしていると、「慣れること」と「飽きること」と「馴染むこと」の違いを、やっぱり思わずにはいられない。もちろん、わたしは明彦のことは好きだし、こうして抱き合ったり、気持ち良さを与えられたり与えたりすることも、好きだ。でも、この人と抱き合って驚くようなこと、嬉しさでドキドキするようなことは、もうないんだなと思う。ずっと知っていることばっかりがこれからも続いていくんだ。その事実が、わたしから元気を奪う。無口にさせる。何も別にだめになってはいないのに、「もうだめだ」という気持ちにさせる。

 避けては通れない問題ですよね。だから好きな人との初めての情事はなるべく先延ばしにしたいwピークはどうせ短いスパンなのだから…。このことがわかっていて、結婚して子どもを作りたいとまで思える日が、おれにはくるのだろうか…。w

触れてみたなら すぐに終わって きっともう届かないから

キセルのそんな一節がふと頭をよぎった。

 

家の中の仕事は、だいたいが後始末だ。汚れた物を洗って元に戻すこと。その繰り返し。そういえばお風呂に入ることだって、何かを作りあげているんじゃない、後始末だもんなあと思うと、おかしいものだ。

掃除洗濯…エンドレスリピート…

 

前略…そういうところも確かにある。でも、大きい声では言えないけれど、子どもと同じで、日々の暮らしに必要な技術は繰り返し「しつけ」ていけば、ある一定の水準に達する。 

 そうなんです。これは男女ともにいえることだと思うのですが、うまく調教すれば多少は自分に寄せることが可能なのです。それは趣味であったり笑いのセンスであったり感じ方の一部であったり。経験したことはないけど、生活一般のことでもそれがあてはまるんだろうな、と。

 

「あのね、わたしのわずかな経験から言うと、だいたい男なんて、ややこしいことのある女って嫌みたいよ。大抵、みんな器が小さくて、自分が理解できることしか理解しないの。ちょっとでも変わったことがあると、さーっと小さな蟹みたいにどこかに行っちゃうのよ。だから見せなくてもいい物や、知らせないで済む事柄は、きっちり隠しておかなくちゃ」 

 この本での一番の収穫と言っていいかもしれない。笑

男の本質を突きすぎていて、ぐうの音も出ませぬ。

若いうちは物好きもいて、メンヘラでもいいよという男はおるかもしれぬ。だがな、歳をとれば、だんだんめんどーくさいという思考になってくるものよ。

馬鹿っぽい女、女に嫌われる女がいつの時代も男にちやほやされるのはそのためなのです。

「けっ、馬鹿っぽい女性なんて、おれはごめんだね」

そんな男性こそじつは馬鹿っぽい女が最終的に好きになることってあるらしいです。

 

ただし、それで男に大切にされるかというとまた別の話でして、

一番理想的なのは、ただ馬鹿っぽいのではなく、それをひとつの術として使ってるってことを自覚しつつそういう甘えた振る舞いをできる人こそ男性は大切にしてくれるような気がします。ようはコントロールしてやってください。しょせん、蟹なんで。

 

 

 

一時間半。この記事に費やした時間。

副業でもはじめようかな。

un jun known

些細なことで壊されていく夢が現実だと

君の寝息が告げる

 

それでも僕はいま

誰かが味わった幸福の蜜を 静かに啜っている

永遠に賭けてしまいたくなる気持ちも わからなくもない

 

君を抱いた 君に触れた

ほんの数秒前のこと

その温もりを僕は うまく思い出せない

 

去り行く景色に未練はないと

そう唱えているけど

見上げた夜空 月とJupiter

明日にはもう 遠ざかっているだろう なんて

 

歪な僕らも さ迷える星の子

誰かに見つけてもらえるといい

そんなお姫様みたいなこと

醒めたはずの頭で 考えている

 

暗闇を不機嫌で塗りつぶしてしまわぬよう 星は瞬いていた

その光で 百年と持たない僕らの永遠も 照らしてみせて

もうだめだと思う

なんか、信じてる人に裏切られすぎた

 

生きてる自信ないです

 

死んでるアカウントだと思ってなんとなしに見に行ったら彼女は平然としていきてた

 

約束もなかったことのように

というかおれあの人と約束したっけ?って自分の記憶が不安になるくらいに

楽しそうなツイートをたくさんしてた

 

それもおれのすきな作品、彼女に教えたいろいろなものを愛でつつ、そこにおれはまったくおらず、見知らぬ彼とそれらのものとで構成された、充実した日々がうかがえる

 

絵文字をあんなに使う彼女をおれは知らない

 

じゃあなんだろ

彼女が不幸であればよかったって思ってたのか

 

 

いや、というか人としてありえんだろ

おれがそういうことされるのが一番傷つくって知ってるはずだろ

それなのに裏切るってこの仕打ちなんやねん

どうせ彼は死ねないとでも思ってんのかね

それかこうしてあえて失望させることでおれとの関係をきっぱり断ちたいのかもしれない

 

でもひどすぎるやろ

もういやだおれの人生こんな仕打ちばっかや

みんなおれをおざなりにする

こいつなら大丈夫やろ、ってみんなおれをてきとーにあしらう大丈夫なわけないやんか

それも大切に思ってるひとからもそんな仕打ちをうける、彼なら大丈夫だろうと、そんなん思っとるわけ?なんなん?なんでおれそんな仕打ちうけないかんの

そして今日はほんとーに人扱いしてもらえないいちにちだった

おれはバケモノらしい

その締めくくりがこれ

 

んであれか、明日になるとちょっと人に助けられて、もうすこし生きてみようってなるあれか

もういいもううんざり

もう突き落としてくれていいよもうめんどくせえぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶずんぶ

母の呪縛

おれは生まれ変わりたい。

 

じゃあ変わるために必要なことっていったい何?

 

いままでのおれはきっと答えにつまっていたことだろう。 

 

本当はその答えは、明白だった。

 

ただ避けていた。

 

女性に慣れること。

 

それがおれの根源的な不安の原因だった。

 

おれの屈折した感情、自信のなさは、

女性に対する免疫のなさなのである。

ほかにも要因はいくつかあるが、これはかなりの割り合いを占めている。認めよう。

 

僕ほどピュアな人間は、この世に5人といるかもわからないが、

女性の気配があるだけで、緊張してしまう。

いつもの自分でいられなくなる。呼吸が乱れる。

 

べつにやましいことを考えているわけでは毛頭ない。

頭の中はからっぽだ。

 

でも、女性に対する恐れのようなものを抱いている。

そしてその正体につい先ほど気付いた。

 

童貞かって?いいえ、童貞ではありません。

デリヘルを除くと、そういうエッチなことをしたのは三人。

 

さらにいうと、現実にいる女性を口説いたりしたわけではなく、

ネットで感傷的なことを詩にしたりつぶやいたりしているうちに

向こうから近寄ってきてくれた女性たち、である。

 

つまりおれは、現実の人間関係のなかで、異性との駆け引きや、恋といった類で、そういった行為に及んだ、という経験が皆無なのである。

 

 

 

 

人類には大きく分けて2タイプしか存在しない。(ここでは割愛させていただく)

maleとfemaleだ。

 

その2タイプの存在に慣れることができれば、OKなのだ。

なにも宇宙人の相手をする必要は、ないのである。

 

そしてそのうちのひとつに自分が属しているため、残る攻略相手はひとつしかないのである。

 

なぜもっと早く気づいて行動に移さなかったのか。

 

それには大きな大きな理由がある。

 

女性に慣れること。

 

それすなわち、

 

己の貞操観念の崩壊を意味する。

 

そしてそれはイコール、

 

母からの嫌悪、侮蔑、に直結するのである。

 

おれはなにになりたいのか。

母のおもう男性の理想像?母にとっての永遠の天使?

 

ぶるる

 

 

 

男という生物は、性に対して奔放であるという事実を、

最近になってようやく知ることとなった。

 

そして、たいていの場合、

男の成功者や自信家は、

その知能や自信の高さは、

女性を抱いた人数に比例するのである。

 

それはたんに、下半身が暴走しているだけの人間もいるのだろう。

 

それを自分の武勇伝として語る腐れ外道もいるのだろう。

 

男の自信というやつは、このようなまっことにくだらないもので築き上げられているというのを、女性のみなさんはご存知であろうか。

 

そうしてそんな男は許せぬ、と思う女性でさえ、そんな男に魅力を感じていたりするのだから笑えない。

 

言いたいことが普段以上にまとまらないのは、

自分がほんとうに避けてきた事実なのかもしれない。

 

それでもおれは変わりたい。 

 

おれはずっと、母に対して貞操を捧げてきたのだということに、ようやく気付いた。

 

どこで出会う女性にも

 

母を投影していた。

 

男の欲を見せれば、たちまち憎悪にも似た眼差しで侮蔑されるのだと。

 

潔白こそが、全人類の女性が求めている男性の姿なのだと。

 

でもそれは、母さんの願望だった。 

 

母さん、男に生まれた以上は、避けては通れぬ道なのです。

空疎であっても、それを身につけている男性が、大人と持て囃され、あなたも街ですれ違った紳士に恍惚としたこともあるでしょう。

しかし、その男は下半身がだらしないからこそ、そのような振る舞いを行えているのです。自信を得ているのです。

 

僕はその空疎な、しかし世間になぜか認められてしまう自信というやつを

手に入れたいのです。心の安寧のために。

 

決して勘違いしてほしくないのは、女性の心をもてあそぶためや、ただ快楽のために腰を振りたいわけではないということです。不誠実な人間になど、なれようはずがありません。

 

真理というのは、タブーというのは、つねに相反するものと共存しています。

真に誠実であるためには、ときに汚れなければなりません。

本当の愛を体現するためには、それを愛するために、周りを犠牲にする残酷さが必要であることと同じように。

 

 

でも、弁解するつもりはない。

母に嫌われてもいいとおもってる。

 

街で見つけられて糾弾されても

そんなやつは家に置いておけないといわれても

むしろそれは願ってもないチャンス。笑

 

ま、正直に答えるつもりもないけど、母の嗅覚はおそろしいのでそうなった場合はむしろ動き出すきっかけとなりそうだ。

願わくば穏便にいきたいけど。笑

これ、いま言葉にできたのって、おれにとってすごい成長やと思う。びっくりした。

呪縛やったんやな、これって。母に嫌われてもいい。

 

ようするにこれは母=神様という図式が成り立ってたんだ。

だから母に嫌われるってことは、この世を統べる、神に嫌われるということを意味していたので、おれは極端に恐れていたんだ。なるほど。

 

 

そんなわけで出会い系を駆使して

女性に免疫をつけることとコミュ障の改善を図るべく、動き出した次第である。

 

いったんここで筆を置く。 

怪物はささやく

怪物はささやく、良質な映画だった。

 

---------あらすじ---------

さびれた教会の裏通りにある一軒家。

主人公であるコナー少年は、病気がちな母と息子の二人暮らし。

母は病気のために寝室にこもっていることが多く、

炊事、洗濯はもっぱらコナー少年の日課だ。

 

そんなコナー少年は空想に耽ることが大好きな男の子(おそらく中学生)。

学校の成績は申し分なく、絵を描くのが好きで暇さえあればノートに絵を描いている。

 

しかし、世の中にはそうした特異な存在、周りとは少し違った存在に対して

よく思わない連中がいる。

それが、腕力もなく、気の弱そうな人間であればなおのこと。

暴力は強い者に微笑みかける。

 

コナー少年の部屋の窓から見えるのはだだっぴろい高原と、樹齢300年を超える巨大なイチイの木。

ある晩、いつものようにペンを走らせ、夢中で絵を描いていたコナー少年は、自分の名前を呼ぶ声に気が付く。

 

それは巨大なイチイの木の怪物だった。

「これから3つの物語を話す。そして、4つ目はお前の真実の物語を話せ。」

 

突然の出来事と、わけのわからない提案に、コナー少年は食い下がるも、

1つ目の物語は語られるーー。

 

 

 

 

 

 

---------ネタバレ感想---------

見終わったあとに、この暗示的な物語は何かに似てる、どこかでおれは知ってるはず、形容できるはず、と思っていて、でもそれが言葉として出てこなかったんだけど、一晩寝て思い出した。

 

この映画はスピリチュアルだ、と。


3つの物語はとても哲学的で

受け取りかた次第で、どれも嫌悪感を抱かせてしまいかねないお話だった。(あえて中身は割愛します。)
けどそれがおそらく色んな、スピリチュアルな分野や脳科学の分野、かつての文豪と呼ばれていた人々が語っている真理であり、人間にとっての不変の事実であることは、素直に頷けた。というか、裏付けられた。

 

ただ、母親の病気が治癒が難しい病(余命いくばくという)を題材に扱っているために、下手をすると最後の彼の告白は、一部の人たちの反感をかうかもしれない。いや、子供への同情心で相殺されて、「共感は得られにくくなる」のほうが適切かな。

 

おばあちゃんの孫に対する態度が最初から酷というか、

たしかにコナー少年の態度は多少生意気ではあるけど、

彼の境遇を考えると、すこしは優しく接してあげてもいいとおもった。

 

それか、彼女自身もそんな境遇で生きてきた身であり、そんなことは不幸でもなんでもなく、それが人生だと、そしてそれが彼女の真実。という見方もあるか。

 

ただ、あまりにも突き放してる感じがしたので、そこだけは気になったかな。

いったい過去になにがあったの?という感じ。(これから起こることが以前に起きていたなら話は別なんだけど)

 

 でも気になったのはそのくらいなもので、

 

コナー少年の心の変遷は、物語の映像もあいまって、とても美しかった。

深刻さでいえば比べるべくもないけど、多少なりともそうした自分の心の叫びや破壊衝動を、人間社会一般の倫理観にあてはめて、それが間違っているような気にさせられ、見て見ぬフリをしてきたことへの自覚がある自分としては、見ていて心地よく、背中をさすってくれているような温かさを覚えた。

 

印象的だったのは、怪物に語った4つ目の物語である真実は、彼がずっとため込んでいた、ある意味残酷な心の叫びで、ここで一瞬、眉をひそめた人もいると思う。

でも、それがきっと大事なことなんだろうなと身に染みて思う。

 

人間がときとして残酷なのは、あの震災を機に、アンテナを張って生きていれば、思い知らされることだと思う。

 

 

心の奥の奥の潜在意識は正直で、ときとして残酷で、

倫理観というものさしではかろうとすると、それはたちまち多くの人間に怪訝な顔をされることになる。

だけど、自分という個人の幸せの単位で物事を見るなら、その残酷さは、その残酷さを自ら知り、受け入れてあげることは、ものすごく大切で、それさえできれば幸せになれる、といっても言い過ぎじゃない気がしてる。

 

さらにこの映画の優しい、愛のある映画として完成されているなと思ったのは、ラストらへんで「いかないで」と泣きながら素直に抱き着いたコナー少年のシーンだ。

 

 

「終わらせてしまいたい」

 

「いかないで」

 

そのどちらもが真実で、誰にも咎めることなんかできない自然な気持ちなんだよね。

 

 

怪物はささやく」 は、古典的な「少年と怪物とのファンタジー」という体裁をとっていながら、

その中身はまさしく今の時代にふさわしいモダンな、心の病の治療法が語られている映画でした。

 

 

ぎゃーーもう一回見たいなこれ、、

最近の映画当たり率が高くてちょっとこわい笑

消えたPコート

sate,さて、前々回のブログの続き。

 

どこまで書いたか覚えてないな

 

読み返してくる。

 

なるほど、 一人暮らしのための手近なステップアップ目標を書こうとしていたわけだ。

 

そして現状クリアできているのか。

 

・12時までに布団にはいって目を閉じること

 

…明日から明日から。

 

・歯医者へ行く。

…、予約すらしてない。

今日しようとは思ってたんだよ、だけど昼過ぎに気付いたからさ…

 

 

・髪切り

 

実はいまの髪型気に入ってるんだよね、うん、まだ早いかな~って

 

 

 

惨憺たる結果だな

 

これは書き出した甲斐があったというものだよ

 

そして、非常にシンプルに思ったのですが、人の心を探りすぎですあなた

 

無意識さんでも習ったじゃありませんか。

おまえは阿呆だ

嘆く必要もないほどに

あからさまに阿呆だ

だからこれでいいんだよ

ものさしはね、人それぞれなんだ

 

丸くなるというのは

すこしさみしい

行きつく果ての言葉って

結局ちまたにあふれてるうわべだけの言葉に帰着する

 

あれだけドスグロイ感情を通ってきたのに

それは誰もがつかえる常套句

見分けはあまりつかない

 

でもそれでもいいんだよと

おもえるようになりつつある自分が

すこし誇らしい

 

はい、目標続き。

 

・やりたいことは無印ノートに書きつける

 

これですね、これはもう買いましたよ、無印ノート。

さっそく思いついたやるべきことリストを羅列している。

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最後のほうどんどん抽象的になっていくな…

いいことだけども

 

綺麗に書く、といういつものおれの癖を

あえて出してはいけない、というルールのもと

思いついた言葉を、思いついたままに書く。

ま、自分で読み返して伝わる程度にはまとめる。

 

これは先日、はてなブログ徘徊してたときに

どこかのだれかが「0秒思考」という本について解説してたのを見たところから着想を得た。

 

真面目に読んだつもりだけど、いま説明しろっていわれても忘れてしまったからほんとうにこれが0秒思考と関係あるのか知らないけど、

とにかく紙いっぱいに書き出してみる、てきなのはあった気がする。

 

で、欲望のままにペンを走らせるって、めちゃ気分がよろすぃー。

なんか、書いただけで「あ、おれってこれがしたいんだな」

みたいな、確認作業ができるし、なにより忘れっぽいおれにはとても相性がいい。

やらなきゃいけないこととか、やりたいこと、って

乱暴にまとめるなら、ひとつの小さな欲望であるわけじゃない?

てこたぁ、無意識下では、抑圧された感情として鬱積してるんじゃない?そうじゃない?そういう欲望が目に見える、というのはとてもいいストレス解消になるんじゃない?なんておもったりした。

わかりやすくいうと、おしっこしたあとみたいな軽度の爽快感、だな。

 

これは続けてみようとおもう。

ま、決して人に見せない、というのが鉄則ですがな。

このノートがもし身近なひとにバレたら、気がこまいから人間社会に復帰するの難しくなりそうやし。そのてんは気を付けよう。

 

 

てなわけで、ここに書いてく必要がなくなったのだ。

さらば。