teresuwatebesu's blog

ときどき宇宙のことを考えるといいらしい

ダンケルク

IMAXで見てきた。

IMAX初体験。

 

おれだめだ。

2Dでさえ銃撃戦けっこうビビるやつなのに、IMAXダンケルク見ちゃった。

さいしょの銃撃が後ろからきたのは卑怯だ。

こわすぎる。

つーか爆発音とかより単発のライフルとかのほうが怖かった。全編をとおして。

なんどもビクッとなってた笑

うしろのカップル笑ってたかも笑

 

でもそんくらい迫力あるよ。

でもわざと行ったんだよね。戦争疑似体験しておこうとおもって。

いやー、戦争って無意味だよ。

いや、たぶんそういうことを単純に訴えている映画ではないと思うけど。

自分は恐怖でそうおもったのだ。同調圧力とかね。そういうのくだらんな、って。

 

さいしょの不意打ち銃撃がこわすぎて、どのタイミングで奇襲されるかわからないから話の筋に身が入らず、ストーリーはさっぱりわからなかったww

 

だってこわいんだもん。はやくおわれって冒頭三分でおもってたw

 

めっちゃ肩コッタ。

なんか数日トラウマになりそう。

確実に今日の夢には出てくるやろな笑

 

まあIMAXはもう二度と見ない。笑

あれはアトラクションだ。

映画観賞ではないね。おれにとっちゃ。

 

いやー、こわかった←

 

いまだかつてない、陳腐な映画感想となってしまった。

あでも自然の美しさっていうのは感じたかな。映像美。

恋というのは厄介なものだ。

もっとわかりやすい言葉でいうなら、恋=男女間の駆け引きのことだ。

 

本当に相手を自分のものにしたいと思ったら、戦略なしにはとうてい勝ち取れない。

それはいくら初めは向こうから好意を寄せてくれていたとしても、だ。

 

こちらの好感度が相手のそれを上回ってはぜったいにいけない。

否、上回るのはいいことかもしれない。

だが、それを相手に悟られてはいけないのだ。

 

意中の人に、クソ真面目に、誠実に、清廉潔白な態度でアピールしても、その効果は、悲しいほど得られないという。むしろ逆効果になることさえあると。

 

これは脳の研究結果からも裏付けのとれている揺るぎない事実だそうだが、相手に好かれたいのなら贈り物を与えてもいけないし、手伝ってもいけないのだという。

 

は?と思った。誠実なおれは。

好きな人に好意をもってもらおうとするなら、贈り物をしたり、相手が困っているときには手を差し伸べるのが道理というものだろう。

好きな人のために尽くしたい、尽くそう、と思って、多くの見返りを求めようというわけではなく、ただ好意的に見てもらいたいがための行動を起こす。

それが恋の駆け引きにおいては間違いなのだという。むしろその行動が相手の心に、自分と接するときの惰性を生み出してしまいかねず、逆に贈り物が少なくなったり事情により手伝えなくなったりすると、「なんであの人は贈り物をくれないんだろう、助けてくれないんだろう」というような心理状態を招き、結果としてもう最悪、みたいなことになるらしいのだ。おそろしすぎる。

 

ではどうするか。

それはずばり、贈り物をねだり、手伝ってもらう(手伝わせる)のだそうだ。

なぜこれが恋の駆け引きにおいて有効なのかというと、脳というのは理性的、知の象徴のようなものとして世間では扱われることがしばしばだが、脳は既成事実になにかと理屈をつけたがる習性があるらしい。

つまりこの場合どういうことかというと、例えば女性が意中の男性に「誕生日なんだよね」とほのめかし、男性はなんの気なしにプレゼントを手渡したとする。すると男性の脳は、プレゼントを贈ったという事実についての理由づけを行おうとするらしいが、その適当な理由が見当たらない。だって、とくに理由もなくプレゼントしたのだから。

それでも脳は理屈がないと落ち着かない。落ち着かないから脳はとんでもないことを思いつく。

「もしかすると自分は相手のことに興味があるからプレゼントしたんだ、でなきゃプレゼントなんてしないよ、いや、てか、好きなんじゃね?うんそうだそうだ、絶対そう。」と理由をでっちあげ、脳みその持ち主は無自覚なまま、結果的に相手のことをそうした特別な目で見ることになるらしい。

 

追うと逃げられ、追われると逃げる。

 

よく恋愛論において耳にする言葉ですが、

実はこれって脳みそレベルで決められた習性であったわけですね。

 

つまり恋とは我慢比べなんですね。

 

(な、なんだこれ、めんどくさいぞ。)

 

そして現在。

 

私はいま、たったいまあることに気付いた。

顔を合わせるたび食事代を支払うことも多く、誕生日にはこまごまとしたものを丹念にセレクトして贈り物などをした。

おれはいま恋の苦しさ、胸にゲッソリと穴ができたみたいな感覚のやつを8年ほどぶりに味わっており、それは昨日さよならした瞬間からはっきりと自覚しだした次第であるのだけれども。

でも私は少しは成長していたらしい。翌日にはその穴は冷静水(れいせいすい)でいっぱいに満たしてあり、少なくともそれで日常生活に支障がでるほどではないようだ。ずきずき。

 

それにしても

彼女の顔を眺めていると、右脳が喜んでいるのがわかる。

いや、顔だけではない、その髪、その腕、そのオムネ…。

男にまつわる彼女の過去を聞くうちに嫉妬という感情がおれにも備わっていたことを思い出した。

 

脳に踊らされているとしても、それが人間であり僕なんだ、と思う。

 

おれは話した。それはみっともないことだったと思う。

恋愛において「贈り物は、されるものらしい」と。

「自分は手順をあやまってしまって格好が悪いね」と。

 

彼女は笑いながらダメ出ししてくれた。

彼女は知っていた。

プレゼントをもらうことや手伝ってもらうことが、相手の好意を呼び覚ますことを。

 

それはかつての大好きだった彼を、振り向かせるために勉強したんだ。と

どこか悲哀の漂う表情で笑いながら語っていた。

 

えなにこれ。

かわいすぎる。

 

 

脳の誤作動でもなんでもいい。

おれは彼女が好きになっていた。

環状線

左半分の顔で わかったような気になる生き物
手近な理屈で間に合わせた真実みたいな嘘を
その汚ない手で大事そうに

 

眠ったままの脳で見る極彩色のポスター
その実白黒でさえ認めていないんだろう

 

充てがわれたライフプラン
からくりも知らず幸福も知らず今日を知らず

 

取り返しの付かない未来を
雀の涙 小銭で買い続ける
永劫の借金 過去で精算
意味の堕落 意味の欠落
奈落までの特急

ヌカカの結婚

視点フェチになりつつあるteresuwatebesuです。

いやー、虫の世界の常識って人間(日本人?)からしたら凄惨。

 

乱交なんて、日常茶飯事。(これは虫に限らず、人間以外のほとんどの生物にいえるらしい)

 

近親相姦で種を繁栄させているダニ。

 

生涯で性別が何度も入れ替わる、ダンゴムシ。

 

一度にたくさんのオスと交わり、精子をストックしておき、性別を任意に産み分ける女王アリ。

 

雌雄同体ではあるけど、相手がいないと受精できないカタツムリ。

 

性交するとオスの性器がメスの体内に残ったままちぎれて即死するミツバチ。

 

交尾の最中にメスに頭から食われ、それでも腰を振り続けるセアカゴケグモ

 

身近な生物でさえ、日々このような営みを繰り返していることに驚き。

 

セアカゴケグモの例でもわかるように、虫の世界では自分の命よりも自分の遺伝子、子孫を残すことのほうが優先事項だとインプットされているらしい。

痛覚が鈍いのかな?じゃなきゃそんなことできないだろ…。

 

死んでもいいから孕ませたい

 

虫に言葉が話せたら、つまりこう言ってるってことよね…

ゾゾゾ

 

あなたの足元には、世界が広がっている。(虫の)

思うこと

顔の優劣を前面に押し出した番組を見ているときの姉が、決まってブスの肩を持つのは弟としてつらいものがある。

 

自殺予防が叫ばれている時期に、こうした差別を助長する番組を放送するなんてさすがとしかいいようがない。

 

マスコメディアンめ。

 

テレビに出演するお笑い芸人をしんから好きになれないのは、こうしたことが理由だ。

「それが芸っちゅうもんじゃ」「相手はいやと思てへん」「仕事やからのお」

 

じゃかしいわ、ぼけ。

 

おそらく大多数の芸人が徒党を組んでこういった反論をするであろう。

 

結局は無関係ですもんね、銭儲けできれば。

いじめられている子が死のうが関係ないですもんねー

 

ということを考えてしまうからおれは脱却できんのだ。

でも、仕方がないじゃないか。

 

それを認めてしまったら、誰がその子らを守るのよ

別に俺が直接的にその子らを助けれるわけじゃないけどさ、

そういう風潮を鵜呑みにしてる大人ばっかりだったらますます世の中腐っていくわけでしょ?

精神的には毒だけど、なにか意味があると思いたい。

と、実家の母親ともうまく付き合えない青二才がいうのでした。

 

いやー、これも自己欺瞞なのかなーというのも考えるよねー

 

くー、というのも肉体的苦痛を伴うからこうした考えを無視できない、ってのはあるかも。

そう。つまりこれは筋肉をつければある程度解消されてしまうのだと思う。

でも、でもでもでもでもでも。それでいいのか。

 

とりあえず彼女ほしい。

宿屋めぐり

宿屋めぐり、読了。

魂の救済、生きやすさの提供。

「告白」が傷の舐め合い、慰め、だとすると、「宿屋めぐり」はその先へ進むための励まし、救済だと思った。

 

(前略)けれども、記憶、君の言い方で言う魂が少しでも違っていれば、君の行いは変わるかも知れず、した場合、君は、場合によっては、宿屋めぐりを終えて家に帰ることができるかもしれない。

 

確証を得られるって、うれしい。

自分で導き出した考え方(それもつまりは見聞きして触れた、他者の視点から得られたあらゆる感じかたを統合したもの)のようなものが、こうして太鼓判を押されるのはとてつもなく深いところでの共感と、(それはSNSで得られるような快感の比ではなく、誰にも話さないのに、話さないがゆえ、この本と自分だけが通じ合えているという秘密の愉悦)静かな自信が満ちてくる。

それで、いいんだ。って

あるがまま、いま、を感じて

流れに身を置いて、

嘘を嘘と思わずに。

 

町田康という作家がいてくれたことにただただ感謝。

ハイドリヒを撃て 「ナチの野獣」暗殺作戦

疲れているので簡潔に。

 

当初の予想ではもっと、あー適当な単語を知らない。悔しい。

なんつーか、暗殺シーンに至るまでの情報線といいますか心理戦といいますか、そういうものにクローズアップした映画だと勝手に思っておりました。

 

ところがどっこい。終盤になるにつれ、ドイツ軍の容赦ない残虐な尋問やら暴力、あげく残り30分はドンパチ合戦。

 

うーん、映画館を出たあと頭痛がしたのは暑さのせいかそれとも。

 

なんか評価しづらい映画だなあ。

 

すんげ性格悪いような見方するなら(それがおれの標準なのか)

残虐なシーンにのみ力を入れた映画というか。

そのシーンを撮りたいがための前半だったのでは、と疑いたくなるというか。

 

終盤はほんとに正視に耐えぬシーンの連続だった。

当時のナチス軍が行っていた残虐行為が

これでもかこれでもかと盛り込まれてた。

 

それも生き生きと、生々しく、描かれてた。すべてのプロットは、そこに集約されていたかのように。

 

それならもっと、ハイドリヒ暗殺を実行に移すまでの内容を濃くすべきだったのでは。なんか一人ひとりの心情が希薄。人を愛する過程も甘い。(まあこれは限られた時間で表現するのは至難の業だけどでもそういう作品だってある)

 

タイトルとも合ってない気がする。

というか原題なんなんだろ。

Anthropoid

作戦の名前か。

 

んー、でもハイドリヒを撃て、はないよな〜

 

とまあ、なんかすっきりしない。

 

そういえばドイツ兵はドイツ兵で、最前線で戦う人らはみんな人形みたいに突撃してっててそれも違和感ありすぎた。

最後の方とか相手がそこにいるのわかってるのに銃構えずに接近してきたりして、「ゾンビかよ」って思ったし…。

 

 

そして戦争映画でいつもいつも思うのが、美化しすぎ。ということ

 

戦争なんてクソやし、それに結果的に携わってしまったことだってクソやと思う。

仕方がなかったって?まあそうなんだけど。人間の大多数がそうだし、いざ巻き込まれればおれもそうなんだけど。

でもなんていうか、その時代にいない自分らだからこそ見える新しい見方って必要だと思う。

 

というのはそんな状況になってしまったことは恥ずべきというか、

いや、もちろん敬意はある。そりゃ国のために命を差し出す、ってそれが嫌々であったとしてもまったく頭が下がらないというか、とても凄いことだとは思うけど、

だけど、そうして従うしかなくなった状況を生み出したのって少なからず個人個人のせいでもあるわけで。

 

極端な話、上の人間が「殺せ」って命じて「嫌です」って言ったとして、逆らったやつは殺す、って言ってほかの部下に命じて「殺せ」って言ったとしてそこでまた「嫌です」ってことが言えたなら戦争って起こらないわけじゃないすか。

理想論とかいわれそうだけど、

 

でも現状の、たとえば特攻隊崇拝してる日本人見てると危ういなあと思う。

たしかに彼らの犠牲で今がある、だけどだからこそ、そんな状況を二度と生み出さないためには、そこに至るまでの彼らの、人間の、心の弱さを、教訓として、心のどこかで糾弾していなきゃいけないと思う。崇拝だけじゃまた同じことを繰り返すと思う。

 

命を粗末にするな、バカヤロー

 

とは誰も言わないよね。

 

「国のために死ぬ、なんて阿呆のすることだ。」って考えが浸透しない限り戦争はなくならないだろうな

 

 

と小心者が申しております