teresuwatebesu's blog

ときどき宇宙のことを考えるといいらしい

テンカンテン

今年はおみくじを引いてない。

つっても生涯で引いたみくじは10を超えないが。

 

というのも、昨年末。「来年は年初に対面で占ってもらおう」と突然思い立ち、大晦日の日に予約を入れ、今日がその生まれて初めての占い師さんを訪ねる日だった。

占いというより、ヒーラーに近い。

自分の興味がたまたまオラクルカードに行きついたこともあり、カードで見てもらった。

まず思ったのは、答えって出てるな、ということ。

 

それをはじめて人からいわれることで、行動に移さなきゃと思いだす。

もちろん、あっと気づかされることもいくつかあった。

たしかにそこ見直さなきゃな、と。

だけどそれも、過去に一度自分も考えた、使ってみた手段ではあった。ただその方法への信用度が下がって頭に残っていなかっただけで。

決めつけをやめること。たぶんこの人はこういう人だから、本心は話せないな、とかね。まあ本心は話さないけどね。←

 

んで、はじめに引いたカードは日本の神託カードというやつの「変容を促す蝶」だった。

さなぎから蝶へと変貌を遂げるときだと。

これまでの服を脱ぎすて、おしゃれをして自分の好きな場所へと赴きなさいという暗示らしい。

これね、言われる前からそうしたことをしようとだらだらと探りはじめた矢先だったから、ちょっと本腰入れてみるか。という気になった。(とはいえまだ実行に移せていない。だって仕事でメンタル削られすぎて…)

来週再来週あたりに開催される読書会があれば参加してみようと思う。

あのね、やっぱり人間は言いたいこと言えてないと内部で爆発するんすよ。たとえそれがタブーであったり、道徳的にどうなのか、といったことであっても。

おれはたぶんそういう世間的にはあまり馴染みのない考え方をしてしまうゆえ、あえて敵を増やしたくないというのもあって、無難なことしか言わない。そしてそれ以外にはけ口があるのなら、それでいいんだろうけど、俺の場合そこで飲み込むことはもう二度と口にされない、考えられる機会もなくなってしまうことなので、知らないうちに溜まりに溜まってたわけだ。

言いたいこと。だいたいおかしいよね。言わなきゃ考えって進展しないし、言ってはじめて、自分とは違う考え方の持ち主に出会って、そういう見方もあるのか、と知ったりしていくわけで。

 

よくネットとかで散見されるのが、「すこしは勉強してから言え」というやつ。

これって、まったく成長に対して不寛容な考え方だ。

間違えなきゃわからないことなんてたくさんある。その間違えをするな、というのは「大人」を名乗りたいだけの優等生のガキだ。

 

そうやって頭から押さえつけて、対話するつもりもない人間のせいで学ぶことができたかもしれない人たちの思考を停滞させる。無自覚だろうがお前は罪深いことをしている。

 

脱線した。

 

んで

 

とかくエネルギーが溢れているといわれた。サードアイが開いてるとも。

空気が読めすぎるばかりに、いらない情報を受けとってしまうんだと。めっちゃある。つーかそればっかり。

 

エネルギーを貯めるのはうまいが、出すのが苦手なんだと。

そして自分のぶんのパンがあって、目の前にパンがない人がいたら、分けるんじゃなくて、全部あげてしまうんだと。それで自分のぶんがなくなって困窮するというね。

もともとの性質がそんなんなのに、さらに感情でもそんなふうだから与えすぎて胸が空っぽになってるとも。

 

ぐうの音も出ない。

自分に謝りたいよ。みんなが自分を無下にする。なぜだ。といつも悩んでいたけど。それは自分が自分に対して行っていたからで。

人は、AさんがAさん自身に対する扱いと同じ扱いをする。

 自分にやさしくできなくて、人からのやさしさを受け取ることはできないのだ。

わかっちゃいるけど。なんだよなー

 

 

 

あとグラウディング。足ってやっぱだいじね。足洗うのとラジオ体操ね。ん?足を洗う?日本語おもろいなあ。

 

 心から体をケアするだけでなく、

逆のアプローチもありなのだ。見落としてた。

 

 

なんで日本ってこう、思想を語れないんですかね、

 

なんも特別なことじゃないのに

 

人と違うってことが

歓迎されるものに関してはいいけど

 

お前は違う、特別なんかじゃない、って叩かれる。

 

結局、歳をとってまとった鎧を脱ぐに脱げなくて、

まわりの足をひっぱることで、取り残されることから逃れてるんだろうな。

 

うわー、人としてあるまじき姿。

きもちわるー

 

若者の未来を奪うことで成り立っていた日本社会。

思想ありきだなと思うたわ

 

思想なんて呼べる代物じゃないがね

 

 

と、いうわけで。おれは言いたいことを言いたい。それは誰かを傷つけるためではなく、よりいい解決法や折衷案を見つけ出すための、対話として、言いたいことを言いたいのだ。

そういう場を見つけたので、勇気はいるが、ぼちぼち参加してみようと思う。

じゃないとまじ死ぬわ。

 

 

乗り越えられない試練はない。

占星術的にはそういうほしらしいので、気楽に、かまえて、生きて、いこう、っと

 

 

 

はあ

 

 

 

 

 

 

 

 

それとあふぉメーション。

サンド

唱える。

 

 

あと、

 

 

 

書き出す。

 

 

 

これね。

 

 

やっぱり

 

 

 

いいらしい

 

 

 

行動

 

 

 

それ自体が

 

 

 

 

 

変容するための

 

 

第一歩なのだと

 

 

 

 

よくわかります。

 

 

 

来月のキセルのライブたのしみ。

どっちつかず

迫るハコ 狭いハコ

揺られて今日は 逃避行

平日はさざなみ

寄せては返す浜辺のあわい

喧騒も潮騒のよう

ここは 現世の桃源郷

裏と表が地を巡る

人の心もまた然り

行きつ戻りつ夢心地

毒に揺られて帰りなん

 

内なる声

そんなこともできないの?

 

できないことをいまできないから、って理由でやらないなら、いつやるの?

 

現状維持じゃ、いずれ必要とされなくなるよ

 

 

社会に出ると、こんな言葉に出くわしたり、実際に言われなくても、見えない他人や、社会に馴染んでしまった自分の思考に捉えられることが往々にしてある。

 

けれども、

 

内なる声に耳を澄ませると

おれ自身はそれを望んでない。

 

自分が思っているように感じている気持ちは、他人からそう見られたい自分であり、根っこの部分では、違う答えに行き当たる。

 

そもそも前提が違うのだ。

 

昇給してほしいだろ?

昇格したいだろ?

いまより仕事ができるようになりたいだろ?

 

ざっくり答えるなら、NOだ。

なんで上の3つを求めるのが人の世の普通だと考えられているのか 

 

それは、社会が提示した現代の、人間っぽい生き方プランに加入しているからではないのか。

 

そもそも仕事なんて金を稼ぐための手段でしかない。

広がる世界もあるというのはわかる。だけどそれもたかが知れてる。

自分が知りたいことを知ろうとして、知らない世界を発見する驚きや喜びや成長に比べたら、たいしたことない。

 

つーか、サバイバルはじまってんのに、いままでのルールでとりあえずいく、っていうのもいかがなもんか。

 

実家暮らしで世の中を知らないのも一理ある。

 

だが、おれにとって、いまこの生で重要なのは、いかにして自分の精神を安定させるかなのだ。

そうかといって、争いが皆無で済むとも思っていない。むしろ、この道を選んだからこその軋轢はある。

圧倒的多数の社会的人間の評価も同情も得られんがな。

 

それでもおれは自分のために生きたい。

 

いままでどれだけ自分の言いたいことを我慢してきたのか。

昨日母に自分から言葉にして伝えられたことで、ガツーンときて、風呂で泣いてしまった。おれはこんなに我慢してたのか、と。

 

それはほんの些細なことだった。だけどそれを毎日毎日されるのは、嫌だった。

その手段として講じてきたのが「沈黙」だった。

 

こんな小さなことの積み重ねが

生きづらさの正体だったのだ。

そんな自分を解放してやれる場所をいくつか探そうと思う。定住はしない。群れもしない。

ただ個が集まり発言する場で、己を見、相手を知るのだ。

 

上司のむちゃぶりにムカつき、おそれ、丸め込まれたことへのいらだちやらなんやら。

それを精算するために午前中は休んだ。

ちゃんと連絡を入れて。

いままでのおれからしたら考えられない選択肢だった。

弱いと思われるのがいやだから、そんなことしたら周りに迷惑がかかるから、

人の基準ではなく、自分の基準でいい。

おれに与えられたこの肉体と精神にしては、上出来ではないか。

 

 

これはついさっき得られた思いつきなんだけど、

世の中にはぜったいにおれみたいなことで苦しんでる人間がたくさんいると思う。

それはとくに同世代の人間によく見受けられる気がする。

 

言語化できない。言いたいことが言えない。言おうとしても頭が真っ白になる。そもそも何を考えればいいのかわからない。

 

だから自虐することでしか最後の一線を守れない人たち。

 

そして自虐すればするほど、疎まれて周りにも余計に軽くあしらわれる。

 

ひどく傷つく1日が1ヶ月に一度、酷いときは毎週のようにある。

そんな人たちを助けられたらなと思う。

いや、まだ自分のことさえ守れていないが、

 

 

一時間経過。

 

 

とりあえず上記の件は保留だな。

まず自分からだ。おろそかにしすぎ。放っておくとすぐこれだ

 

自己集中型人間になろう。

 

さて、ぼちぼち仕事に向かう。

やりたいことはたくさんある。

仕事なんかではなく。

生き方を探るためのやりたいことが。

降りていく生き方

どうも。

年末感をだしてへらへらしてる人間どもに腹をたてているteresuwatebesuです。

 

いやー、どうおもいます?年末だから、まとまった休みがあと少しではじめるからって理由で、年末感の波にのまれて緩慢になるやつ。弛緩するやつ。寛容になるやつ。お笑い番組増やしてくるテレビジョン。

 

 

 

 

 

 

 

Objection! 

 

 

 

年中たるんでろよばかやろう

年末だからって空いた通勤バスのなかで遠い目してんじゃねーよばかやろう

 

日頃どれだけ現実に囚われながら生きているのか。

 

遠い目なんか年中してるわぼけ

いつもは変な目で見てくるくせにばかやろう

 

 

 

おれは毎年この時期になるとそんな目をした連中、あるいは浮かれた連中を見て悪態をつく。

それでいまが年末なのだなと徐々に認識してゆく。

 

今日で仕事納めにはなったが、年末なのだという実感はまだない。

いや、というかクリスマスさえまだおれは終わっているという事実に気付いていない。

 

世間の行事が完全におれを通過しなくなってきたのはある。

 

 

年末はたしかに周りがそんな調子だから、総括とか一年の振り返りと展望とか

ひとつの区切りとしては利用してるが、

 

とくだんなにがあるわけでもないので、年末というものを有難がる理由がわからぬ。

 

 

それはまあさておくとして。

 

仕事、ね。

 

今年だよなあ、会社やめたの。もうずいぶん経ったような気がする。

 

んでいまの職場ね。

あのね、挨拶しようよ。

30超えた集まりなのに他人への気遣いというのが皆無だというのを最近入ってきた十代アルバイターの女の子に対する態度でよおおおく、わかった。おれが入ってすぐに感じてたことが的外れでなかったということも。

 

それにつけ、部長。

はあ、思い出すだけで疲弊する。

 

いったいこの職場に、アルバイトに、なにを求めているのだ。

0か1か。やるか、やらないか。挑戦するか、なにもしないか。

極論しかない。

 

おれは自分の人生を最優先に生きようと思っているわけで。

そこにたまたまwebという仕事の手段があっただけで。

 

どうなりたいか、五年後十年後にどうなっていたいか。仕事でどんな能力があるといえるのか。歳だけ食って、たいした能力がないと雇われないよ。

 

それらすべてが、おれにとって重要でないという結論にようやく至ったわけで。

 

だから彼が話す、昇給、昇格、成長、向上、人生設計、そのすべてが、

おれにとっちゃ必要のないものでして。

 

仕事に重きを置かない生き方でないと、おれは壊れるのだ。

それでも、それはそれで苦労がないわけではないのだ。

むしろ世間から冷笑されるし、狂人とみなされるわ、どちらかというとさんざんだと思うわ。

 

それでもおれはおれ自信が満足できて、おれ自信を愛せて、自分が楽しいと思えること、信じたいと思えることだけを最優先に考えて生きていたいのだ。

 

だってタイムリミットはもうはじまってる。

有限の命で、仕事というものに割く時間は、自分が挑戦したいとおもえる範囲だけで十分。

それを現状維持だとか成長するつもりがないだなどというならそう思ってくれてけっこう。

 

仕事なんかより魅力的で、知的なことがこの世には溢れてる。仕事なんかで摩耗したくねんだよ。

 

てなふうな考えを、まろやかにしてお話しました。

冷静な判断ができないときに、一度引き受けてしまった仕事を、自分から断り入れて、できませんといえたのは大きな成長だ。

 

いやー、よくがんばったね。

仕事で価値があるとしたら、こういう能力を養っていける部分に、いまはあると思う。

 

今年はほんとに強くなった。

とくに六月以降。なんというか、自分が固まってきた感じ。

一度大きく瓦解したけど

なんとか持ち直して、感覚を取り戻せつつある。

 

ただそろそろ、心のパートナーがほしい。

お互いを慰め、高め合えるような人が。

 

まあ、ある意味恵まれてるな。

おれに必要な能力、補わなければいけない部分、鍛えたいと心ひそかに思っている部分を、トレーニングできる環境にはいるのかもしれない。

 

周りの人も、モンスターというわけでもないしね。

そうした感謝も思い出しつつ、今年もいい年だった。という締めくくりにしようかな。

粉々に砕かれた日

自分を疑わない日はない。

それでも、それが真実なのではないかという予感のようなものがある。

 

それは外れるかもしれない。大袈裟なのかもしれない。

だけどそれも含めておれという存在は形成されてるんだ。そんな勘違いかもしれない直感を、自分が信じてやらずに誰が信じるんだ

 

 

恐怖の絶頂みたいな目覚めだった朝。

これは完全に行けないなと思い、懐かしいバックレ後の面倒臭さに苦い顔をしつつ、だけどこの胃の痛み体の痛みを考えても、とても動けない、と思った。

 

それでも、20分後にもう一度目覚ましがなるようにセットした。

 

それでも気が変わっていなければ、断ち切ろうと。

 

それで結局起きることができた。

 

あれだけ自暴自棄で自己認識を徹底的に歪めて脳みそ痛めつけただけあって、頭の回転はやばいくらいに遅くて、先輩に怪訝な顔をされたけど

 

よく、がんばったね。

おれえらいよ。ちゃんと生きてるじゃないか。

そしてあらためて考えたけど、お断りする方向で考えてる。

そう考えるとあと一月半、かな?

短期の仕事だとおもって気楽にいこう。

 

つらいことを避けることにだって、勇気がいるのだ。

逃げるのは悪いこと、という認識が世の中にも、自分にも浸透してしまってるけど、

逃げることだって多大なエネルギーがいる。

学ぶことだって多い。

おまえは気を遣いすぎるんだよ

もっと雑でいいよ

 

 

 

年内にまとまったこと、書けるといいなー

地球少女アルジュナ

現代文明なんて ごみの塊。

余分なものばかり溢れるほど作って

その捨て場に困って

自分たちの生み出したごみの重さで潰れていく。

 

ほんとはね、この惑星の問題を解決するなんて、難しくないのよ。

 

ーえ?

 

私たちひとりひとりが、本当に必要なものは何か、って

心の底から気付くことができればね。

 

ーほんとにそれだけ?そやったら、なんで?

 

電気やガスや、便利なものに囲まれて、

お洒落をしたり、携帯使ったり。

そんな生活やめられる?

 

ーすこしは…

 

じゃああなたの家族は?恋人は?

 

ーあかん。ムリや…

 

どうしてやめられないか、わかる?

 

こわいからよ。

一度始めたことも、手にしたものも、

手放すのがこわくなって、

なにが大切か、わからなくなっている

 

だから、早く気が付かないとー

女たちの避難所

垣谷美雨さんの小説、女たちの避難所。

 

あの東日本大震災をモデルにした地震が起こるシーンから、それぞれ立場の異なる3人の女性が描かれていく。

 

この本では主に避難所での生活がクローズアップされる。

その内容は完全な創作というわけでは決してなく、さまざまな文献や筆者が被災者自身から聞いた現場の声をもとにして作られている。

 

の、だけど。

 

憤り。

 

この小説をひとことで表すなら、これ。

 

とにっかく、腹が立った。とくに男という生き物に。

 

そしてずるいのは自分も男という立場にありながら、男を軽蔑する態度ね。

まあ、はい、そうですとも。おれも男にはちがいない。

だがしかし、である。

 

人間というのは理性的に振る舞えない未曾有の状況が続くと神経がマヒしてくるのですね。それはアイデンティティーであったり、欲望のコントロールであったり。

さじ加減がわからなくなる。躁鬱てきなことになる。

 

てなことはなんとなく日頃から自覚しているし、社会とは理性の皮をかぶった化け物が回しているということを知っている人間だと自分ではおもっているし、そういったことであったり生きるとは、みたいなことを自問したりしたことがない人たちとは違うのだ、ということはここに書き記しておきたい。

まあ男が全員というわけではない。もちろん。理性を保てるのならむしろ味方になってくれるだろう。ただ、その理性という仮面をひとたび失えば、動物の雄と化す生き物なのだということは、頭の片隅に入れておいたほうがいい。

 

とにかくこれ衝撃ですよ。女性は普通の防災だけでなく、男から身を守るための対策も練っていたほうがいいかもしれない。

 

 

 

 

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この記事は九月に書いたもので、下書きに保存していた。

 

なぜそのとき更新しなかったのかというと、「男のくせに」という風潮が、いまだに日本にははびこっているということを、今にして思えば、なのだが、おそらく心のどこかで懸念していたのだと思う。

 

でも、それを書こうと思ったきっかけがあった。

ときどき覗きにいく、(ある界隈では)カリスマ的存在である女性ブロガーさんが「自信のない男はきもい」といった類の記事を書いていたからだ。

普段からこの方の発言からはあらゆる方面で刺激をうけ、叱咤激励されているような気持になったり、考え方を自分でも取り入れてみたりと、学ばせてもらうことが多いブロガーさんだ。

そして今回もその例に漏れず、「なるほどな」と納得させられたわけである。納得というか、薄々知ってたけど、堂々と言語化されているものを目にしたのは初めてだったので、なるほど、なるほど、という感じ。

 

まあ、自分はというと、自信のないきもい男に間違いなく分類される男なんだけど、そうした人間は、もともと男性社会においても立場がないうえ、こうして女性にもdisられると、ただでさえ自己肯定感が低く、つねに自問自答自虐のオンパレードで、まさに行く当てがまるでない。これでは存在価値が危ぶまれ自殺してまうではないかと、誰かが救ってやらねば、と思ったのでこの機会に、「自信のないキモイ男」である自分を大事にしてあげるためにも、書いておこうと思ったのだ。

 

その空虚な自信は、これまでの日本社会であったなら

重宝されたかもしれない。

いや、いまでも全然そうだけど。

 

ただ、その空虚な自信を持った男の大半は、「理性を騙す」という代償を追っていることを忘れないようにね。

刃物の背であるということは忘れないようにね。

 

野蛮であることを是としてきた社会。

それが顕在化していると感じるニュースが増えている昨今。

 

男は度胸、とする主張はもっともであり、くだらないが悲しいかなそれが現実であるということになんら異を唱えるつもりはない。

 

 

ただ、自信のないやつには自信のないやつなりの矜持があり、それを侮辱されたと感じたときには黙っていられない。

 

 

 

それと数カ月前の自分に告ぐ。

 

>そしてずるいのは自分も男という立場にありながら、男を軽蔑する態度ね。

まあ、はい、そうですとも。おれも男にはちがいない。

 

いいえ、おれはやつらとは違う。

どんな状況になっても理性をないがしろにしたりしない。

もっと自分を肯定してあげましょう。